男山団地
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男山団地(おとこやまだんち)は、京都府八幡市に存在する住宅団地である。
概要

八幡市北西部に位置し、京都大阪のベッドタウンとして機能している。八幡市西部の丘陵185.64haを開発し、計画人口32,000人、計画戸数8560戸(内訳:公団住宅5900戸、京都府公社または府営住宅500戸、公共建物40戸、一般住宅地1420戸、公団住宅地700戸)を予定していた[1]。男山団地入居前(1970年頃)の八幡町の人口は約2万2千人であったことを考えると、大規模な計画であることが分かる。
計画の概要表

計画面積:185.64ha

開発の方法:土地区画整理事業(計画面積の約57%は日本住宅公団が買収)

計画人口:32,000人

計画戸数:8560戸

公団住宅5900戸

京都府公社または府営住宅500戸

公共建物(公団店舗付住宅)40戸

一般住宅地1420戸

公団住宅地700戸

歴史.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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1960年 - 日本住宅公団(現都市再生機構)から男山丘陵住宅建設計画が発表される

1962年 12月 - 日本住宅公団が男山団地の開発を決定

1969年 5月 - 名称を「男山団地」に決定

1969年 11月 - 八幡土地区画整理事業の事業計画を認可(造成工事の開始)

1971年 4月 - 京都府立八幡高等学校開校

1972年 3月 - 男山団地(A地区・B地区)の入居開始

1972年 4月 - 八幡市立八幡第二小学校[2]八幡市立男山第二中学校[2]開校

1974年 3月 - 男山団地(C地区・D地区)の入居開始

1974年 4月 - 八幡市立八幡第三小学校[2]開校

1974年 5月 - 京阪宇治交通(現・京阪バス)男山営業所開設

1975年 4月 - 八幡市立男山第三中学校[2]開校

1975年 10月 - 関西医科大学附属男山病院開院

1976年 12月 - 住所表示の変更を実施

1977年 4月 - 八幡市立八幡第四小学校[2]開校

1980年 4月 - 八幡市立八幡第五小学校開校

1986年 3月 - 中ノ山中継ポンプ場を廃止

1991年 12月 - 男山文化ホール(現生涯学習センター)開館[3]

2003年 3月 - 市道橋本南山線が延伸(男山松里-八幡南山)され、国道1号線に直結

2005年 2月 - コミュニティバスやわたの実証運行を開始

2007年 4月 - 京都府立京都八幡高等学校開校(八幡高校、南八幡高校を統合)

2008年 4月 - 八幡市立さくら小学校開校(八幡第三、第五小学校を統合)

2009年 4月 - 関西医大男山病院を医療法人美杉会へ事業継承

2010年 4月 - 八幡市立くすのき小学校開校(八幡第二、第四小学校を統合)

住区・地区センター
住区とその地名の由来


男山石城(男山B団地)

昔この付近を村人が「石城」と呼んでいたことに由来する
[4]


男山泉

この地の北方に石清水五水の1つという説のある「福聚水」(ふくじゅすい)という泉があったことが伝えられていることに由来。男山団地の造成前には多くの泉や池が存在したため、水に恵まれた土地であることを表現した[4]


男山金振

住所変更前の小字「金振」に由来[4]


男山香呂(男山第二住宅・男山A団地)

男山は昔、雄徳山もしくは香呂山と呼ばれたことに由来する。「男山雄徳」とも対応させた[4]


男山指月

以前、指月庵という尼寺がこの地域の西方にあったことを取り入れ、高台にあるこの地域の名称とした[4]


男山笹谷(男山第四住宅・男山D団地)

住所変更前の小字「笹ヶ谷」に由来[4]


男山竹園(男山A団地)

竹園とは竹藪の意味であり、団地内、特にこの地域に多くの竹が群生していたことに由来[4]


男山長沢

住所変更前の小字「長沢」に由来[4]


男山八望(男山C団地)

高層住宅があり、南山城、北河内の両平野を展望できることに由来[4]


男山松里

この付近に伏排松、張の松という松に関する歴史的いわれが伝わっていること、松が成育していたことに由来[4]


男山美桜

男山団地の開発前、この地域に多くあった桜の木は、現在さくら公園内に竹とともに保存されていることに由来[4]


男山雄徳(男山E団地)

男山は昔、雄徳山もしくは香呂山と呼ばれたことに由来。昔は「おとく」と呼ばれていたが、分かりやすくするため、「ゆうとく」という読みを採用した[4]


男山弓岡(男山第三住宅・男山B団地)

「月弓岡」(つゆみおか)と呼ばれていた丘陵が男山団地の北陵にあり、八幡八景の一つにも「月弓岡の雪」があげられている。また、男山の竹を弓として利用していたことも伝わっている。別に「指月」として「月」を使用しており、4字以内にとどめて呼称を簡潔にするため、「弓岡」と命名[4]


男山吉井

歌人の吉井勇が、昭和20年代に現在の男山団地の東麓に居を構え、この地域についての短歌を詠じていたことに由来。「井」はこの地域内に清水が豊かであったことにもちなんでいる[4]


地区センター


北センター(男山笹谷)

中央センター(男山八望)

南センター(男山竹園)

上下水道
上水道

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上水道は八幡市により配水されている。水源は市内の地下水と宇治川(京都府営水道)の水のブレンドとなっている。
下水道

男山団地内の排水方法は、雨水と汚水(下水)を別々に流す分流式下水道を採用している。
雨水の排水
男山団地(地区総面積186.6ha)における雨水は、約38%(71ha)を八幡側へ、約62%(115ha)を枚方側へ分けて排水されている[5]。これは男山団地開発前の分水面積の割合を維持したためである。八幡側は八幡大芝でまとめて団地外へ排水され、八幡盛戸で大谷川へ直接流入するものと、途中で市役所・八幡小学校方面へ排水するものに分かれる[5]。枚方側は当時の枚方北部公共下水道計画に従い、3本の川へ排水されている。


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