男はつらいよ_寅次郎紅の花
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男はつらいよ 寅次郎紅の花
冒頭のシーンに登場する岡山県津山市美作滝尾駅(2007年8月撮影)
監督山田洋次
脚本山田洋次
朝間義隆
原作山田洋次
出演者渥美清
後藤久美子
倍賞千恵子
浅丘ルリ子
吉岡秀隆
音楽山本直純
山本純ノ介
撮影長沼六男
高羽哲夫
編集石井巌
配給松竹
公開 1995年12月23日
上映時間110分
製作国 日本
言語日本語
配給収入11億6000万円[1]
前作男はつらいよ 拝啓車寅次郎様
次作男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇
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『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(おとこはつらいよ とらじろうくれないのはな)は、1995年12月23日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの第48作。同時上映は『サラリーマン専科』。
作品概要

撮影当時、寅次郎役の
渥美清は肝臓の癌が肺にまで転移しており、主治医から前作以来「もう出演は不可能」と診断されていたが、無理を押して出演した(主治医によると、本作に出演できたのは「奇跡に近い」という)。このような経緯もあり、本作での寅次郎はほとんど動かず、座っているシーンが多く、劇中でのテレビで寅次郎が活躍している姿はすべて合成[注 1]で制作されており、このシーンは後述のテレビやDVDでも確認できる。また山田監督も、渥美の体調から「もしかしたら最後になるかもしれない」と考え[3]、浅丘ルリ子が演じるリリーを出演させることに決定した。浅丘のマドンナは第11作『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』、第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』、第25作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』に続きこれで4作目で、その浅丘も具合の悪そうな渥美の姿を見て、「もしかしたらこれは最後の作品になるかもしれない」と思ったという。そのため山田監督に「最後の作品になるかもしれないから寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだという[4]が、山田洋次は節目の50作までは何とか製作したかった節があり、結局願いは叶えられなかった。そして山田監督や浅丘が懸念した通り、渥美は1996年8月4日に死去し、本作が渥美の遺作となった。ラストの寅次郎の「ご苦労様でした」は、図らずも車寅次郎の、そして渥美の俳優としての最後の台詞となった。

寅次郎とリリーの再会話は、山田洋次+朝間義隆著『シナリオをつくる』(筑摩書房)P36-38が元になっている。

泉が結婚するはずだった新郎を演じた前田淳は、諏訪博役の前田吟の実子である。

本作が制作された年(1995年)の1月17日には阪神・淡路大震災が起こり、劇中のテレビでも大震災が起こったと紹介されている。そのため町の様子はほぼその当時のものであった。この神戸ロケは当初予定が無かったが被災地の人々の強い要請によるものであり、嘆願書や署名まで提出されたため実現した[5]。地震の記憶も未だ生々しい被災地で喜劇映画を撮るというミスマッチに脚本を逡巡していた山田監督に対し、神戸市長田区でパンの製造・販売をする障害者の作業所を運営する石倉泰三・悦子夫妻が山田監督へ送った一通のファンレターから、山田監督は「寅さんなら、たまたま立ち寄った神戸でボランティアをしていても不思議ではない」と思い、脚本を書き上げた。石倉夫妻の名は、そのままパン屋の店主役の宮川夫妻の役名として生かされている。

NHKに寅さんの素顔を撮影させてほしいと頼まれた時、当初松竹は断るつもりだったが、渥美の承諾が得られた。その映像は、NHKで放送されたテレビ番組『クローズアップ現代・寅さんの60日』、『渥美清の伝言』、『渥美清の肖像?知られざる肖像?』や、ビデオとして発売された『おーい、寅さん 最後の撮影現場日記』のシーンに使用された。

長年撮影監督を担当していた高羽哲夫が急病で降板したことにより、本作のみ長沼六男に交代[注 2]。以後『母べえ』(2007年)まで山田作品の常連スタッフとなる。

デビュー前で当時高校2年生だった元ちとせが歌う島唄「朝花節」がBGMで使われている。

佐藤蛾次郎は、この時に渥美が着ていた服を衣装部から貰い、渥美の形見として現在も着用している。

次回作との関連

当初は、この後にも2本撮る予定だった。49作は『男はつらいよ 寅次郎 花へんろ』。収録地は
高知県。秋からクランクインが予定されており、田中裕子がマドンナ役の予定だった[6]。後年の山田監督のインタビューによれば、「女性が子供をおろしたのだが兄がその子の父親が寅さんではないかという風に疑い、それから寅さんがこの兄妹の後見人になる、また泉と満男を結婚させる」というストーリーであった。[7]公開は1996年12月28日と決まり、撮影を控えていたが、渥美清の死去により幻になった。そこで渥美への追憶映画として、公開される予定だった日に『虹をつかむ男』が公開されている。

また本来予定されていた最終作(50作)では、マドンナ役に黒柳徹子を起用するはずだった、と山田洋次は語っている。渥美清没後10年の命日を記念して掲載された、2006年8月4日の北日本新聞のコラム「天地人」によると、舞台は富山県が最有力候補で、ストーリーは「第49作で甥の結婚を見届けた寅次郎はテキ屋を引退、晩年は幼稚園の用務員になり、子供達と遊んでいるうちに死に、町の人が思い出のために地蔵を作る」というもの。このことは1990年8月25日に放送された『クイズダービー』(第754回)の第7問(三択問題)で出題されており、遅くとも同年時点でこの構想があったことがわかる。

あらすじ

ある日、くるまやの面々が何気なくテレビを見ていると、この年に起こった阪神・淡路大震災のドキュメンタリーが放送されていた。そこにはなんとボランティアとして活躍する寅次郎の姿があり、村山総理を村ちゃんなどと呼び、大活躍していた。その事で皆はビックリ仰天。

そうしているうちに、満男が思いを寄せていた泉が訪ねてくる。見合いをした医者の卵との結婚について満男の気持ちを聞こうと来たのだが、満男は気が動転して、心にもなく素っ気ない態度を取ってしまい、そのまま別れる。しかし、昂った感情をどうにも抑える事が出来ず、結婚をやめさせるために式が行われる津山に行く。そして、式場に向かう泉の乗った車の進路をレンタカーで塞ぎ、さらに衝突させて後退させる。この地方では花嫁を後退させる事は縁起が悪い事とされていたため、式は即時中止となってしまう。関係者に殴られ、警察で事情を聞かれた後、満男は酔っぱらい、半ば無意識にそこへ来たブルートレインに乗り、そのまま鹿児島県奄美群島加計呂麻島にやってきた。加計呂麻島で寅さんとリリーが暮らしたリリーの家

そこで、ある熟年の女性に声をかけられ、彼女の家に泊まることになるが、そこにはなんとその女性と夫婦同然に暮らす寅がいた。そして、その女性はかつてくるまや(当時はとらや)を何度も訪れ、満男のことも可愛がってくれたリリーだったのだ。[注 3]満男は、しばらく島で漁師の手伝いなどをして、反省しながら暮らす。寅は、泉の結婚を邪魔してしまった満男に説教する。その真意は今まで自分が忠実に守ってきた「男は引き際が肝心」というところにあったのだが、それを聞いたリリーは寅に「女は男の気持ちをちゃんと伝えてほしいんだよ」「きれいごとなんかじゃないの」「男は卑怯なの」とあるだけの罵詈雑言を浴びせる。満男は、リリーの腹立ちの原因が「伯父さんという存在」にもあると分析する。リリーの言葉は、満男へのアドバイスであるとともに、引き際という体裁を重んじるあまり、自分に本当の気持ちをぶつけてくれなかった寅への22年分のメッセージでもあったのだ。[8]

泉は柴又を訪ねて博と会い、縁談を解消したと告げ、満男の真意を確かめるために奄美にやってくる。海岸で「どうしてあんな事をしたの?」と問い詰める泉に、「愛しているからだよ!」と不器用に叫ぶ満男。感激する泉。ついに満男と泉はお互いの気持ちを通じ合えたのだった。寅とリリーもその瞬間を見届け、「無様だね」と言う寅に、「若いんだもの、いいじゃないか。私たちとは違うのよ」とリリーは涙する。[注 4]

やがて、寅はリリーを連れて柴又へ帰郷する。思い出話に花が咲く寅とリリーだったが、フトしたことから喧嘩し[注 5]、リリーは一人で島へ帰ろうとする。あえて出発前にそのことを自分に連絡してきたリリーの気持ちをくみ取ったさくらは、くるまやの2階で腰を下ろしたままの寅に、なぜリリーさんを止めないのか、リリーさんがお兄ちゃんと一緒にいてくれることがどれだけ嬉しいのかと訴える。すると、タクシーに乗ったリリーの隣に、突如として寅が乗り込んだ。


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