申紀元前841年 - 紀元前688年から紀元前680年の間
爵位伯、侯[1][2]
国都謝(河南省南陽市)
分封者周の宣王
始祖申伯
滅亡原因楚により滅亡
史書の記載『春秋左氏伝』(初出は隠公元年)
周朝諸侯国一覧
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申(しん)は、周朝の諸侯国。爵位は伯爵あるいは侯爵。国君は姜姓[3]。申国は謝の故地に建国されたため、謝とも言う。西周を滅ぼした申侯の乱を主導した。春秋時代初期に楚の文王により呑併された。その地に楚の県が置かれた。 周の宣王の命により、召の穆公が古謝を滅ぼした。楚や南方の諸侯の監視のために宣王の母の兄弟の申伯を古謝の跡地に封じた。これが申(または謝)の創始であった[4]。 周の幽王時代、申侯の娘の申后が王后であった。しかし、幽王は褒?を寵愛した。遂には申后と太子の宜臼を廃し、褒?を王后、その子の伯服
歴史
受封
申侯の乱詳細は「申侯の乱」を参照
申国は陳と鄭の南にある[7]。『漢書』「地理志」によると申の都城は南陽郡宛県(現在の河南省南陽市宛城区)一帯の冥厄関(現在の湖北省随州市広水市と河南省信陽市?河区の境界)の北、淮水(淮河)の南とある[8]。 君主在位
歴代君主
申侯
周王室
周
春秋十二列侯
秦
呉
斉
魯
燕
蔡
曹
衛
宋
晋
楚
鄭
陳
畿内
周
王叔
召
畢
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樊
単
梁
毛
井
劉
栄
甘
尹
原
・
鞏
應
大駱
山東省
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滕
遂
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譚
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河南省
殷
王叔
温
劉
栄
甘
尹
単
鞏
應
原
南燕
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密
胡
焦
共
凡
葛
西?
東?
杞
謝
申
呂
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戴
息
黄
蓼(廖)
蓼(繆)
番
光
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弦
滑
江
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