申侯_(周幽王時代)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「申侯」はこの項目へ転送されています。周の孝王の時代の西申国の君主については「申侯 (周孝王時代)」をご覧ください。

申侯



王朝
在位期間不明
生年不明
没年不明
父不明

申侯(しんこう、生没年不詳)は、西周(現在の陝西省宝鶏市眉県)の申侯の乱を起こして西周を滅ぼした。

娘は周の幽王の王后の申后で、その子の宜臼は周の太子となった。しかし、幽王は寵后の褒?を后として、その子の伯服(中国語版)を太子とした。宜臼は申に亡命し、申侯は(中国語版)や西方の犬戎とともに周を攻めた。幽王は犬戎により殺され、西周は滅亡した。幽王の死後、申侯や曙・文公らは太子の宜臼を申で即位させた(平王)。都の鎬京は荒廃したため、洛邑に遷都した。
脚注

申侯 (周幽王時代)

不明 -不明
先代
申伯申の侯
不明次代
申公彭宇


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:2526 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef