甲陽学院中学校・高等学校
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甲陽学院中学校・高等学校
甲陽学院中学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度43分41.8秒 東経135度19分33.9秒 / 北緯34.728278度 東経135.326083度 / 34.728278; 135.326083座標: 北緯34度43分41.8秒 東経135度19分33.9秒 / 北緯34.728278度 東経135.326083度 / 34.728278; 135.326083
過去の名称私立甲陽中学
財団法人辰馬学院甲陽中学校
甲陽学院中学部・甲陽高等学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人辰馬育英会
理念桜梅桃李一時春
明朗・溌剌・無邪気
銘酒の醸造のように、焦らず、競わず、衒わず
設立年月日1917年2月6日
創立者伊賀駒吉郎辰馬吉左衛門
共学・別学男子校
中高一貫教育完全一貫制
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC128310000326 (中学校)
D128310000351 (高等学校)
高校コード28534A
所在地662-0955(中学校)
〒662-0096(高等学校)
兵庫県西宮市中葭原町2-15(中学校)
兵庫県西宮市角石町3-138(高等学校)
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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甲陽学院中学校・高等学校(こうようがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県西宮市にあり、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校

現在は完全中高一貫校[1][2]で、中学校と高等学校の所在地は異なる。設置者は学校法人辰馬育英会白鹿グループ)である。
概要

関西教育界の第一人者で、女子教育で定評のあった[3]伊賀駒吉郎が「官立学校は型にはまった教育しかできない」と「自由な私学」を求め、1917年大正6年)、枝川(現在の甲子園)の地に「私立甲陽中学」を創立。開校前から自由、ハイカラハイソという評判があった[4]

桜梅桃李一時春」[5][6]を建学の精神とし、『甲陽十二訓』、自由主義の下、「明朗・溌剌・無邪気」[7]、「気品高く教養豊かな有為の人材の養成」を目的とする校風[注 1]が自主的に育まれた。当時の学級の構成は「桜・梅・桃・李」である[8]

第一次世界大戦後の不況により本学の経営が困難に陥るが、白鹿の酒造家である辰馬吉左衛門が私財を投じ1920年(大正9年)3月、財団法人辰馬学院を設立。中学校令に基づく中学校を発足させる。酒造家ならではの経営を行い[9]、教育に関しては一切を歴代の校長に任せた。

戦後の学制改革[注 2]では、パブリックスクールを手本の一つとして新体制が整えられた[10]。当時の校長と理事長の2人で京都大学大阪大学などを歴訪し新教員をリクルートした。

新制以来、所在地が中学と高校で別であるのは特徴的である。高校は甲子園の地が騒音公害などで環境が次第に悪化したため、高校のみを西宮市苦楽園地区の角石町に新築し、1978年(昭和53年)4月に移転した。現在は、中学は海風薫る浜辺に[11]、高校は天を仰ぐ山辺に[注 3]、ともに西宮市夙川沿いにある。

所在地の違いは中学、高校の校風にも反映されており、中学では制服があり規律正しいが、高校では校則もほぼなく自由となる。
建学の精神
桜梅桃李一時春
「おうばいとうりいちじのはる」と読む。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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