「河野純徳」とは別人です。
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やノートページでの議論にご協力ください。甲野 善紀(こうの よしのり、1949年 - )は、東京都出身の日本武術を主とした身体技法の研究家[1]。古武術に関する著書を多数出版、メディアにも積極的に出演しており、これらの活動を通じて日本人古来の身体運用法「古武術身体操法」の普及を目指している。 1949年、東京生まれ。幼い頃から野山の自然を好み、育った多摩地方の丘陵が宅地開発されるのを悲しんで、将来は自然の中での牧畜に従事しようと、明星高等学校卒業後、東京農業大学畜産科に進むが、畜産及び現代農業全体が効率最優先の工業化を目指していることに失望して、この道を断念(大学中退)[2]。それに代わってさまざまな健康法や修行法、さらに思想、宗教等の方面に関心を広げていった。 1971年、合気会本部道場に入会し、山口清吾師範の元で5年間、合気道を稽古する。また1972年には根岸流を前田勇師範に、1975年には鹿島神流を野口弘行師範に学ぶ。 1978年に武術稽古研究会「松聲館」を設立(2003年に発展的に解消)。 1980年代より、日本武術の研究者として数々の著書を発表、当時一部で生まれていた古武術ブームも相まって(1990年に専門誌「月刊秘伝」が創刊)、その名が広く知られるようになる。また、当時一部にしかその存在が知られていなかった武術家・黒田鉄山にスポットを当てるなどして、武術界の発展に努めた。 1992年、医学博士で解剖学者の養老孟司との対談が実現、『古武術の発見』(1993年、光文社)として書籍化される。以後、さまざまな分野の著名人との対談が書籍で人気を博すことになる。
来歴
さらに2000年代初頭、読売巨人軍の投手であった桑田真澄が、ある理学療法士の勧めから甲野の活動を知り、甲野から約2年間身体運用に関する教授を受けた。そして2002年のシーズンで4年ぶりの二桁勝利を果たし、「桑田復活の陰に古武術あり」とまで言われた[3]。その後も、卓球の平野早矢香や、バスケットボールの小磯典子にも指導し、それぞれで成果を挙げたことで、その知名度を高めた。
2005年前後、スペースシャトル・ディスカバリー号での宇宙ミッションに向け、宇宙飛行士の野口聡一が船外活動での効率の良い体の使い方を求めて、甲野に指導を受けた[4]。
2009年秋、数学者の森田真生と『この日の学校』を立ち上げ、各地で受験や資格を取るためではない学問そのものと向き合う講座を開いた。