甲斐拓也
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元オリックス・バファローズ所属の「甲斐拓哉」とは別人です。

この項目では、福岡ソフトバンクホークスのプロ野球選手について説明しています。「重甲ビーファイター」に登場する架空の人物については「重甲ビーファイター#甲斐拓也」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932はしご高))が含まれています(詳細)。

甲斐 拓也福岡ソフトバンクホークス #19
2023年9月24日 ZOZOマリンスタジアム
基本情報
国籍 日本
出身地大分県大分市
生年月日 (1992-11-05) 1992年11月5日(31歳)
身長
体重170 cm
87 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り2010年 育成選手ドラフト6位
初出場2014年6月7日
年俸2億1000万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


楊志館高等学校

福岡ソフトバンクホークス (2011 - )

国際大会
代表チーム 日本
五輪2021年
WBC2023年
プレミア122019年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2023
オリンピック
2020野球
WBSCプレミア12
2019
アジア プロ野球チャンピオンシップ
2017

甲斐 拓也(かい たくや、1992年11月5日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手捕手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

2016年までの登録名は「拓也」。日本シリーズMVPを受賞した最初の育成ドラフト出身選手で、千賀滉大とともに育成出身選手史上初のオリンピック代表選手に選出された。

また、NPB史上初・パシフィック・リーグ唯一の育成選手出身のシーズン2桁本塁打達成者。
経歴
プロ入り前

小学校1年生の時に3歳年上の兄の影響で野球を始めた[2]。兄は第89回全国高等学校野球選手権大会楊志館高校のエースとして出場している[3]。中学時代は「大分リトルシニア」に所属し[2]内野手としてプレーし、田中太一読売ジャイアンツ入団)とともに全国大会にも出場[4]

兄と同じ楊志館高校に入学後、捕手へ転向(この時の2年上の先輩マネージャーが『あっこと僕らが生きた夏』のモデルとなった人物である[5])。2年時から正捕手となった[4]。夏の大分大会明豊高校との準々決勝で今宮健太に完封負けを喫しベスト8に終わった[6][4]。高校通算40本塁打のうち3年春から夏にかけて25本量産し、甲子園出場に期待がかかったが、3年夏は初戦の別府羽室台高校に1対4で敗戦し、大分県大会1回戦で姿を消した[7]。そのため、7月下旬時点で野球部を引退、「進路にプロという選択肢なんてあるわけがなかった」状況下で大学進学か就職か、野球を続けるか続けないか決断を下せないままでいたところ、同校野球部監督の宮地弘明が、ソフトバンクの九州担当スカウト福山龍太郎に連絡を入れ、甲斐のプレーを一度見てやってくれないか、と依頼、要望を受けて福山がテストとして甲斐を視察し、スローイングなどが評価されたことと、翌年からソフトバンクが三軍制度を導入するタイミングと重なったこともあり、2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから育成6位指名を受け[8][9]、12月11日に入団発表を行った[10]背番号は130。登録名は「拓也」となった。
ソフトバンク時代

2011年は三軍戦のみの出場にとどまり、捕手以外に三塁手としても先発出場した[11]

2012年は4月27日の対阪神タイガース戦において、2年目にしてウエスタン・リーグ初出場を果たした[12]。二軍公式戦では20試合に出場し、先発マスクは7試合だった[13]

2013年は三軍で83試合に出場したため[14]、二軍公式戦での出場は4試合にとどまった[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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