甲斐バンド
出身地 日本・福岡県福岡市
ジャンルロック[1]
活動期間
1974年 - 1986年
1996年
1999年 - 2001年
2007年
2008年 - 2009年
2009年 -
レーベル
東芝EMI(1974年 - 1986年、1996年)
ファンハウス(1984年 - 1985年)
イーストウエスト・ジャパン(1999年 - 2001年)
EMIミュージックジャパン(2007年 - 2010年)
BEAT VISION/KAI OFFICE(2010年 - )
アイビーレコード(2012年 - 2014年)
キングレコード(2014年 - )
事務所甲斐オフィス
公式サイトKAI SURF
甲斐バンド(かいバンド)は、日本のロックバンド[1]。1974年、シングル『バス通り』でデビュー。1986年に解散。1996年に期間限定で再結成。さらに1999年、活動を再開する。2007年12月12日、紙ジャケット仕様CDでのアルバム復刻とベスト・アルバムの発売を記念して、一夜限りのプレミアム・ライブが行われた。 名前生年月日出身地担当 名前生年月日出身地担当 ※ここでは80年代以降、再結成や活動再開時、常に参加しているメンバーを記す。 名前生年月日出身地担当 期間作品期間メンバー担当
メンバー
甲斐よしひろ
(かい よしひろ) (1953-04-07) 1953年4月7日(71歳)福岡県福岡市ボーカル
ギター
松藤英男
(まつふじ ひでお) (1954-04-19) 1954年4月19日(70歳)福岡県ドラムス
ボーカル
ギター
田中一郎
(たなか いちろう) (1954-12-08) 1954年12月8日(69歳)福岡県福岡市ギター
旧メンバー
長岡和弘
(ながおか かずひろ) (1951-10-06) 1951年10月6日(72歳)長崎県大村市ベース
大森信和
(おおもり のぶかず)1951年9月3日 - (2004-07-05) 2004年7月5日(52歳没)熊本県人吉市ギター
サポートメンバー
佐藤英二
(さとう えいじ) (1954-02-21) 1954年2月21日(70歳)ギター
Mac清水
(マック しみず) (1956-04-30) 1956年4月30日(68歳)パーカッション
メンバーの変遷
ボーカルギタードラムスベース
1974年 - 1979年デビューシングル「バス通り」 - アルバム『マイ・ジェネレーション』甲斐よしひろ〇―――
大森信和―〇――
松藤英男――〇―
長岡和弘―――〇
1980年 - 1983年シングル「ビューティフル・エネルギー」 - ライブアルバム『THE BIG GIG』
甲斐よしひろ〇―――
大森信和―〇――
松藤英男〇[注 1]―〇―
1984年 - 1986年
1996年
1999年 - 2001年シングル「フェアリー(完全犯罪)」 - ライブアルバム『シークレット・ギグ』
シングル「ティーンエイジ・ラスト」
シングル「トレーラー・ハウスで」- アルバム『夏の轍』甲斐よしひろ〇―――
大森信和―〇――
松藤英男〇[注 2]―〇―
田中一郎〇[注 2]〇――
2007年 -アルバム『目線を上げろ』 -甲斐よしひろ〇―――
大森信和―〇――
松藤英男―〇〇―
田中一郎―〇――
略歴
デビュー?解散
1974年
5月、甲斐よしひろ、大森信和、長岡和弘、松藤英男の4人で甲斐バンドを結成。『甲斐バンド』というバンド名は、元々仮名でありいくつか候補があったが、しっくりくるものが無く仮名のままデビューとなった[2]。
8月31日、アマチュア時代最後の「甲斐バンド出発(たびだち)コンサート」を、福岡電気ホールにて開催(約2000人動員)。
11月4日、シングル『バス通り』でデビュー(キャッチフレーズは“九州最後のスーパー・スター”)。
12月3日、神田共立講堂でデビューコンサート。前座ゲストのチューリップのステージ終了と共に、客がゾロゾロ席を立つという「屈辱」のコンサートとなる。
1975年
6月5日、2枚目のシングル『裏切りの街角』をリリース。12月までに75万枚を売るロングセラー・セールスとなる。
12月、第8回日本有線大賞優秀新人賞受賞。この時の他の受賞者は細川たかし〈最優秀新人賞〉、岩崎宏美、太田裕美、小川順子
1977年
4月、佐藤剛が、マネージャーとなる。佐藤は以後のバンドの方向性に大きな影響を与えた。
12月4日、中野サンプラザでのコンサートがライブ収録され、翌年3月5日に、初ライブアルバム「サーカス&サーカス」として発売。
1978年
7月23日、日比谷野外音楽堂でのコンサート。初めて照明にミラーボールが登場(曲は「LADY」)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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