甲府盆地
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甲府盆地 甲府盆地の地形図 桃の花咲く甲府盆地と南アルプス 大菩薩嶺から見た甲府盆地

甲府盆地(こうふぼんち)は、山梨県中央部に位置する盆地。やや東西に長い逆三角形の盆地形状、扇状地になっている。面積は375km2長野県松本盆地諏訪盆地と続く構造盆地。中心部に県庁所在地甲府市が位置するほか、甲州市山梨市など、多くの市域を含む。目次

1 地理

2 人文的歴史

3 観光

4 市町村

5 関連項目

地理

平均標高は比較的高い300mに位置し、四季が明瞭で寒暖の差が大きい盆地特有の内陸性気候であり、夏は暑く、冬は寒い。特には日本でも1、2を争う高温になる。年間降水量は少なく1200mm程度であるが山地部への降雪が水資源の供給になっており、夏から秋には集中豪雨が発生しやすい。盆地域には北東から流れる笛吹川と北西から流れる釜無川が盆地南西部で合流して富士川となり、静岡方面へ向かう。盆地西部には御勅使川や早川などが東流する。河川の堆積作用により700m以上の砂礫層があり、周縁には御勅使川扇状地、釜無川扇状地、金川扇状地など多くの複合扇状地が形成され、果樹栽培や養蚕に適した地形となっている。中南部の低地はかつて両河川の氾濫原であり、水田地帯として利用されてきた。

甲府市を交通の中心に、盆地北西から東には中央本線が、また盆地南部を迂回した中央自動車道国道20号(旧甲州街道)が、盆地西部には南北に静岡県へ通じる国道52号身延線が通じており、盆地形状が交通の要衝として利用されている。
人文的歴史

地質学的成因には地底湖説もあり、『甲斐国志』『甲州噺』など近世に成立した地誌類には甲府盆地がかつて湖底であったと考える湖水伝説が存在する。近世初頭に成立した『甲陽軍鑑』に拠れば、太古の甲府盆地は湖であったが法城寺(廃寺)に祀られていた上条地蔵菩薩(国母稲積地蔵)の力によって盆地南部の山が切り開かれ、湖水を富士川に流したという。甲府盆地の湖水伝承を伝える寺社には甲府市の穴切大神社、甲府市の佐久神社、南アルプス市の神部神社、韮崎市苗敷山穂見神社などがある。

中部地方有数の平野面積を有し、旧石器時代から縄文時代前期までは周辺の山岳地帯が主な考古遺跡の分布地域であったが、縄文中期には盆地地域でも釈迦堂遺跡群など大規模集落が進出し、弥生時代以降の集落遺跡や水田遺構も見られる。

盆地東南部の曽根丘陵では弥生時代後期から中道往還を経て東海地方からの古墳文化が流入し、曽根丘陵では県内最古の古墳である小平沢古墳からヤマト王権の強い影響を受けた最大の前方後円墳である甲斐銚子塚古墳岡銚子塚古墳が出現し、甲府盆地が有力首長の勢力基盤になっていたと考えられている。5世紀以降には古墳の築造が盆地各地へ拡散し、盆地北縁では渡来人集団の生産遺跡が分布し、渡来人の墓制であると考えられている積石塚が分布している。

古代には盆地西部が中央政府の支配拠点となり、国衙や古代寺院も出現する。笛吹・釜無の両河川の氾濫原や盆地周縁の山麓地域は官牧として利用され、甲斐の黒駒に象徴される馬産地となる。平安時代には常陸国から移住した甲斐源氏が盆地各地へ進出し、棟梁となった武田氏が甲斐守護となり、石和や甲府に居館を置き、甲府盆地は諸勢力との抗争の舞台となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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