由利麟太郎
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由利 麟太郎
初登場『獣人』(1935年)
最後の登場『カルメンの死』(1950年)
作者
横溝正史
詳細情報
性別男性
職業私立探偵
国籍 日本
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由利 麟太郎(ゆり りんたろう)は、横溝正史推理小説に登場する架空の私立探偵
概要

由利麟太郎の初登場[注 1]について、角川文庫の『花髑髏』の解説に「昭和八年来、三津木俊助とのコンビで親しまれた由利先生」「由利先生と三津木とのコンビは(中略)八年の「憑かれた女」に登場して」とある[1]が、これは解説者・中島河太郎の錯誤である。『憑かれた女』は1946年ごろに由利麟太郎が登場する形に改稿され、1948年に発表されたものであり、1933年(昭和8年)の段階では由利麟太郎は登場しない[2][注 2]。改稿版の『憑かれた女』「由利先生登場」の章で「(由利の活躍を)読んだことがある人は」「(三津木を)知っているだろうが」と既知のキャラクターとして説明しているのはこのためである。

後年の改稿ではない由利麟太郎の初登場作品は1935年の『獣人』であるが、この作品では「由利燐太郎」と表記されており[注 3]、まだキャラクターが固まっていなかったものと考えられている。この作品では由利は「学生上りのまだ年若い青年」であるが、後に私立探偵になったとの記述もあり、由利が若いころに遭遇した古い事件と考えられることが多い[3][1][4][注 4]

キャラクター設定が固まった由利麟太郎は、1936年に『白蝋変化』と『石膏美人』(初題『妖魂』)にほぼ同時に登場しており、どちらが初出か決めがたいが[注 5]、作者自身は『石膏美人』を第1作としている[5](1948年に自由出版の『黒猫亭事件』に収められた際、あとがきに「由利、三津木物のこれが第一作目」と横溝が記している。[6])。『石膏美人』では由利の人物像を事件の3年前に遡って詳しく紹介しており、その意味でも初登場にふさわしい内容になっている。また、『石膏美人』では三津木俊助が由利麟太郎に3年ぶりに再会する設定となっており、『白蝋変化』で三津木が由利を訪ねる場面はそれ以降としないと辻褄が合わない。

戦前には横溝正史の捕物帖でない同時代作品における代表的な探偵役であった。戦時中に探偵小説が弾圧され、戦後に創作を再開するに際して、由利麟太郎の過去の事件という形をとった『蝶々殺人事件』と、新たな探偵役として金田一耕助を登場させた『本陣殺人事件』の2つの長編の連載を1946年に開始した[7]。そのあと金田一耕助が探偵役として定着していったのに対して、由利の作品は連載誌の休刊などが相次ぎ中絶することが多く、1950年の作品[注 6]を最後に未完を含めても由利は登場しない。このように由利・三津木が主人公の作品発表時期はかなり短く、昭和10年から14年の間[注 7]に大半が描かれており、戦中以後は名前の違う『菊花大会事件』を入れても完結は4作品[注 8]、既発表作品の改稿・中絶・ジュヴナイルを入れても10作品ほど[注 9]で昭和10年代前半には及ばない[8]

なお、同じ作者の金田一耕助シリーズは基本的に「書き手のY先生(S・Y[注 10]、成城の先生)が金田一耕助から聞かされた話」という形で書かれているが、由利・三津木ものではこの記録者がはっきりしているものが少なく、『白蝋変化』は途中で「こんな風[注 11]に書いていては際限がないから」という理由でここから三津木の口を借りて事件の顛末を語るという説明が入り[9]、『蝶々殺人事件』は「三津木が昔の事件を由利からもらった資料と自分の記憶を頼りに探偵小説の体裁でまとめた」という形になっている[10]
人物

外見は基本的に「40歳程度から50歳未満(話によって若干違う)の顔つきなのに髪だけ(60から70歳以上のように)真っ白だ」という主旨の説明がされている。

生年は『薔薇と鬱金香』の冒頭で「まだ四十五歳になったばかり」と地の文にあり、この話が1937年(昭和12年)の話であることが少し後でわかる[注 12]ので、逆算すると1892年(明治25年)生まれになる。

嗜好などについては、初期作品では葉巻を吸う場面が何度かあったが、『蝶々殺人事件』以後はパイプたばこを愛用していることになり、『仮面劇場』など後で再編されたものではこの関係で葉巻がパイプに差し替えられている[11](第一編・三など葉巻を吸う場面もある)。ジュヴナイルものでも最初の『幽霊鉄仮面』(1937)と最後の『夜光怪人』(1949)ではいずれも登場直後に喫煙場面があるが、前者は葉巻、後者はパイプである[注 13]

戦前は麹町三丁目の外濠に面した所に探偵事務所を構えていたが、戦争中はこれを人に預けて自身は戦火を逃れるため国立に引っ越し、戦後焼け出された三津木俊助に事務所を貸していた[12]。その後(戦後復興が進んだ頃[注 14])、事務所を閉鎖してすっかり探偵業から手を引いてしまっている[13]。事務所の関係者として、警察時代から同居していたお直婆さんという女中と引き取って面倒を見ていた孤児の絃次郎(げんじろう)という『石膏美人』時点で(数え)17歳の少年がいたが、両者とも初出の『石膏美人』以後再登場することがなく、『三行広告事件』では助手の森山三千代という女性が登場したが、彼女もこれ以後再登場していない。

過去の経緯については、初期の『白蝋変化』と『石膏美人』で以下のように説明されている。もし諸君の中に記憶のいい人があったら、数年前警視庁の捜査課に、同じ名前の課長がいて、縦横の腕を振るったことを覚えているだろう。この白髪の由利先生こそ、即ち往年の名捜査課長由利麟太郎なのである。今では野にあって、警察方面とは一切関係をたっている(『白蝋変化』の「由利先生登場」の章)。記憶力のいい諸君の中には、四五年以前、警視庁にその人ありと知られていた名探偵、由利捜査課長の名を、いまだに記憶している人もあるだろう。実際その当時の由利課長と言えば、飛ぶ鳥も落とすほどの勢いだったが、それがどういう理由でか、突如輝かしい地位から失脚すると、一介の浪人となってしまったのである。
その間の事情についてあまり詳しいことは知られていないが、おおかた庁内にわだかまっている政治的な軋轢の犠牲になったのであろうと言われている。由利麟太郎自身は、この失脚がかなり心外だったらしく、一時は憂悶の揚句発狂したとまでいわれ、さらにそれから間もなく、突如行方不明が伝えられた。
それから三年間、どこで何をしていたのか、その消息は用として知られなかった(『石膏美人』「由利先生の推理」の章)。

またジュヴナイルの『幽霊鉄仮面』では『石膏美人』とはパラレル的な引退と再会を三津木としており、引退後外国に旅行に行って三津木とこれまで会ってなかったことにされている。かつて警視庁の捜査課長として、有名なそして大探偵と言われた人だった。その後深いわけがあって、捜査課長をやめ、外国に旅行に行ったのである(『幽霊鉄仮面』の「貝殻通信」の章[注 15])。
三津木俊助

由利麟太郎のワトスン役である三津木俊助(みつぎ しゅんすけ)は、由利が登場する26作(ジュヴナイル作品や未完作品を除く)のうち20作に登場する。また、由利が登場することなく三津木が単独で事件を解決するものがジュヴナイル作品以外に5作[注 16]ある。

ジュヴナイルの三津木登場作品では由利が登場しないものが圧倒的に多い。これは、1951年ごろから作風に関わらず専ら金田一耕助を探偵役とするようになったものの、ジュヴナイルに関しては1953年ごろから方針を変更して金田一も由利も登場させずに三津木と御子柴を中心に展開するようになったことによる[注 17]。怪人を相手に闘うストーリー上、天才探偵の金田一より敏腕記者の三津木の方が向いているためと考えられている[14]

三津木は新日報社(『石膏美人(妖魂)』の当初版では「新報知」[15]、『深夜の魔術師』と『三行広告事件』では「東都新聞」[16]、『蜘蛛と百合』では「S新聞社」)の記者である。新聞記者という立場から事件に遭遇したり事件関係者から調査を依頼されたりすることが多く、その解決のために由利を訪ねて協力を依頼するというストーリーになっている作品も多い。一方で、まず由利が事件に遭遇し、関連する調査を三津木に依頼するという展開の作品もある(『仮面劇場』など)。

大まかな経歴としては、1909年(明治42年)ごろ生まれ[注 18]、K大学に進学し(『ビーナスの星』)、上記の新聞社に勤めるが、戦争中は空襲で家を3回も焼かれる被害に遭い、由利の麹町の事務所に身を寄せたり、由利の昔の事件を元に本を書いて生活費を稼いだりもしていた(『蝶々殺人事件』の「序曲」より)。

三津木自身の生活環境が判る記述は少ないが、電車などで帰宅する場面から居住地を推測できる事例がある。戦災に遭う以前の居住地に関する情報としては、『悪魔の家』で西荻窪駅から帰宅する途中で善福寺の近くに住む事件関係者に遭遇し、『血蝙蝠』では西荻窪で降りる予定であったところを事件関係者に遭遇して吉祥寺まで乗り越していることがある。なお、K大学時代の『ビーナスの星』でも事件関係者に遭遇して吉祥寺まで乗り越しているが、降りる予定だったのは荻窪である。また、『孔雀扇の秘密』では経堂駅で降りる予定[注 19]が、事件関係者に遭遇して次の成城に乗り越している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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