田辺 裕信
2023年福島記念
基本情報
国籍 日本
出身地福島県二本松市[1]
生年月日 (1984-02-12) 1984年2月12日(40歳)[2]
身長162cm[2]
体重46kg[2]
血液型A型[2]
騎手情報
所属団体JRA
所属厩舎小西一男(美浦)→フリー
初免許年2002年
免許区分平地[3]
重賞勝利56勝(中央44勝、地方12勝)
G1級勝利10勝(中央3勝、地方7勝)
通算勝利12884戦1134勝(中央)
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田辺 裕信(たなべ ひろのぶ、1984年2月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA)の騎手。戸籍上の表記は旧字体が含まれた「田邊」だが、JRAでは旧字体での登録が認められていないため、一部の地方競馬を除いて競馬中継や新聞・雑誌では新字体の「田辺」と修正して表記される[4]。 父親はJAの職員、母親は主婦という一般家庭に生まれる。妹と弟がいる3人兄弟の長男。部活ではソフトテニスをしていた[5]。競馬との接点は、父親が競馬ファンだったことによる[6]。 2002年、2月にJRA競馬学校騎手課程を第18期生[7]として卒業し騎手免許を取得し、小西一男厩舎に所属する[8]。3月2日に初騎乗[2]。中山競馬第2競走で9番人気のアルファジェネラスに騎乗し8着[9]。3月21日に高崎競馬場で地方競馬初騎乗。弥生特別でシアトルドータに騎乗し、11頭立て8番人気で11着だった。8月3日に新潟競馬第12競走で4番人気のヒノデツートンに騎乗し、初勝利を挙げた[2][10]。 2004年4月25日、重賞初騎乗となった福島牝馬ステークスでは、14番人気のトーセンリリーに騎乗して16着だった。 2009年8月30日のキーンランドカップでは、モルトグランデに騎乗し2位入線を果たす。このまま確定すれば重賞初連対であったが、最後の直線で他馬の走行を妨害したとして8着に降着となり、田辺は開催日4日間の騎乗停止処分を受けた。 2010年6月19日、福島競馬第11競走の安達太良ステークスで、栗東・松田博資厩舎所属のアドマイヤマジンに騎乗して勝利。これをきっかけに松田博資調教師の信頼を得ると、他の栗東の有力厩舎からも依頼が増えるようになった[11]。 2011年4月24日のアンタレスステークスでは、栗東・吉田直弘厩舎所属のゴルトブリッツに騎乗して勝利し、デビューから10年目で初重賞勝利を飾った。8月8日、3年前に知り合い、この年から交際していた一般女性と入籍した[12]。同年は88勝を挙げ、全国リーディング7位・関東リーディング3位と躍進し、中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞した[13]。 2014年2月23日、フェブラリーステークスを16頭立て16番人気のコパノリッキーで勝ち、25回目の挑戦でGI初勝利を果たした[14]。サマージョッキーズシリーズでは、七夕賞・関屋記念・京成杯オータムハンデキャップの3勝を挙げて優勝、初めてワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)の出場権を獲得した[15]。WSJSでは、2戦目のファンタスティックジョッキーズトロフィーで勝利を挙げ、総合成績では戸崎圭太と並ぶ3位タイに入った[16]。厩舎関係者表彰のフェアプレー賞を初受賞。
来歴
2019年1月6日中山競馬第2競走でゴールデンウェルに騎乗して史上38人目となるJRA通算10000回騎乗を達成した[18]。
2021年8月1日新潟競馬第8競走をノーリスで制し、史上40人目となるJRA通算1000勝を達成した[19]。
2022年10月23日の阪神競馬第11競走・菊花賞をアスクビクターモアに騎乗し1着、自身初のクラシック競走制覇を果たした。
フェアプレー賞は2014年、2018年と2020年より4年連続となる2023年まで計6回受賞している。
騎乗依頼仲介者は優馬の坂倉和智[20]。
主な騎乗馬
ゴルトブリッツ(2011年アンタレスステークス)[21]
エイシンアポロン(2011年富士ステークス)[22]
エーシンヴァーゴウ(2011年セントウルステークス)[23]
ヴェルデグリーン(2013年オールカマー、2014年アメリカジョッキークラブカップ)[24]
マーブルカテドラル(2013年アルテミスステークス)[25]
カラダレジェンド(2013年京王杯2歳ステークス)[26]
コパノリッキー(2014年フェブラリーステークス、かしわ記念、JBCクラシック、2016年・2017年マイルチャンピオンシップ南部杯、2017年東京大賞典)[27]
メイショウナルト(2014年七夕賞)[28]