凡例田辺百枝
時代飛鳥時代 - 奈良時代
生誕不明
死没不明
官位従六位上・大学博士
主君文武天皇
氏族田辺史
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田辺 百枝 (たなべ の ももえ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官吏。姓は史。官位は従六位上・大学博士。 田辺史氏
経歴
『日本書紀』巻第十四、及び『新撰姓氏録』「左京皇別」では、田辺伯孫の馬にまつわる説話が掲載されている[2]。『姓氏録』「左京皇別」下、上毛野朝臣条によると、皇極天皇の時代に史部に編入され、『書紀』巻第二十五には、孝徳朝の白雉5年(654年)に遣唐使に任命された者として、書直麻呂と共に判官(まつりごとびと)の中に田辺史鳥(たなべ の ふひと とり)の名前があげられている。そのほかにも、『書紀』巻二十八には壬申の乱の折りに近江朝廷の将として戦った田辺小隅[3]のことが記述されている。『尊卑分脈』「藤氏大祖伝」によると、藤原不比等は田辺史大隅のもとで育てられたため、「不比等」と名乗ったと言われている。 『続日本紀』巻第一によると、文武天皇4年(700年)、刑部親王以下19人と共に大宝律令の撰定者となり、その功績によって白猪史骨・土師宿禰甥らと共に禄を与えられた。この時は位階は黄文備らと同じ「追大壱」(正八位上に相当)である。同族の田辺首名もこの時に禄を与えられている[4]。 『懐風藻』によると、従六位上・大学博士に任命されたとある。「春苑 詔に応ず」という題の詩が掲載されている。
経歴
脚注^ a b 菅澤庸子『『新撰姓氏録』における姓意識と渡来系氏族』京都女子大学史学研究室
^ 『日本書紀』巻雄略天皇9年7月1日条
^ 『日本書紀』天武天皇元年7月5日条、6日条
^ 『続日本紀』文武天皇4年6月17日条
参考文献
『日本書紀』(三) - (五)、岩波文庫、1994年 - 1995年
『日本書紀』全現代語訳(上)・(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
『続日本紀』1 新日本古典文学大系12 岩波書店、1989年・1998年
『続日本紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年
『懐風藻』、全訳注江口孝夫、講談社学術文庫、2000年
『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』p787(三省堂、1993年)
『日本の歴史3 奈良の都』、青木和夫:著、中央公論社、1965年
『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編、雄山閣、2015年
関連項目
田辺伯孫
田辺小隅
田辺首名
大宝律令
刑部親王
藤原不比等
粟田真人
下毛野古麻呂
伊吉博徳
伊余部馬養
薩弘恪
土師甥
坂合部唐
白猪骨
黄文備
道首名
狭井尺麻呂
守部大隅
額田部林
山口大麻呂
調老人