田辺修_(アニメーター)
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たなべ おさむ田辺 修
プロフィール
生年月日
1965年(58 - 59歳)
出身地 日本岡山県
職業アニメーター
活動期間1987年 -
ジャンルアニメーション
受賞東京アニメアワード2015 個人賞「アニメーター賞」
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田辺 修(たなべ おさむ、1965年 - )は日本アニメーター岡山県出身[1]
経歴

1987年に岡山大学教育学部を卒業と同時にオープロダクションに入社。その後フリーを経てスタジオジブリに所属。ジブリではジブリ本体から徒歩10分のところにある第4スタジオ(通称:4スタ)[注 1]に所属し、そこの所長を務めていた[2]

ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』(1989年)や『新・キューティーハニー』(1994年)などで原画を担当[3]

スタジオジブリ作品では、『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』の原画を担当[1]。『ホーホケキョ となりの山田くん』では百瀬義行とともに絵コンテ場面設定演出を手がけた[1]。『かぐや姫の物語』では絵コンテを手がけたほか、人物造形、作画設計も行なっている[1]。また一般的なアニメで言う「演出」の役職も田辺が担当した[4]

東京アニメアワード2015で個人賞のアニメーター賞を受賞[5]
人物・作風

宮崎駿を見出した高畑勲が最後に見出した才能であり、『となりの山田くん』以降は「彼以外のアニメーターを映画の中心に据えようとは思わない」と断言するほど全幅の信頼を置いていた[6]。田辺の魅力を一言で言うならば「実感のこもった芝居」[6]。デフォルメされたキャラクターを人間らしく動かすことにかけては他の追随を許さず、そこを高畑は最も評価していた[7]。ほとんど足がない二頭身のキャラクターに畳の部屋で足を折りたたんで座る芝居をさせることができるなど、決してリアルな画ではないのに本当にその人が実在するようなリアリティがある[8]。鈴木敏夫によれば、「これを自然に描ける人はまずいない。40人くらいアニメーターがいて、描けたのは2人だけでした」とのこと[9]。『かぐや姫の物語』のプロデューサーだった西村義明曰く「具体の人」で、具体的なものを見て自分の中に取り込んでそのイメージを画に落とし込んでいくタイプ[10]。田辺自身も「抽象的なキャラクターを想像してアニメーションにするということができない」と語っており、結果として近くにいる人間がモデルになったりする[10]。線の選び方に関して、線の強弱、太さ細さなど、その選び方のセンスが抜群であるため、レイアウトを描く他のアニメーターがなかなかその使い方のルールを見出すことが出来なくて困ることがある[11]CGによる作画は行わない[12]

なかなか絵を描こうとしないことで有名で、高畑の企画が遅々として進まなかったことの理由の一端は田辺にあるという[6]。アニメーターとしては体力がある方で、描く時は集中力も落ちずに描き続けるが、描かない時はとことん描かず、机の前に座ってそのまま何時間も佇んでいることもある[8]。イメージや実感が湧くまで描かないため[注 2]、数年かけて描いた枚数は数枚ということもある[7]。また『かぐや姫の物語』では、他のアニメーターが描いた絵のほとんどに修正を入れようとするため、さらに時間がかかったという[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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