田谷町
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 栄区 > 田谷町

田谷町
町丁
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度22分04秒 東経139度31分20秒 / 北緯35.367894度 東経139.522281度 / 35.367894; 139.522281
日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区栄区

人口情報(2023年(令和5年)4月30日現在[1]
 人口1,355 人
 世帯数686 世帯

面積[2]
 1.04 km²
人口密度1302.88 人/km²
設置日1939年昭和14年)4月1日
郵便番号244-0844[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
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ウィキポータル 神奈川県
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田谷町(たやちょう)は神奈川県横浜市栄区町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施[5]
地理

栄区の最西端に位置し、北東は栄区金井町、東は栄区長尾台町、南は鎌倉市玉縄関谷、西から北にかけては戸塚区小雀町に接している。地形は中央部から北東部にかけてが平坦で、西は東海道付近を稜線とする台地に至る谷戸地、南は玉縄へつづく丘陵地となっている。

利用状況としては町の南部に県道原宿六浦線が通り、中央部には水田が広がる。栄インターチェンジ・ジャンクションが建設中となっており、完成後は風景が一変する。北東側は工業地帯となっており柏尾川に近い東部には光ケーブルなどの製造を行う住友電気工業横浜製作所、ニコン横浜製作所が設置されている。工業用地以外の地域全域が市街化調整区域であるため、地域内は農業用地が多く商業施設はまばらであるが、地域を南北に通るバス通り沿いには湯快爽快日帰り入浴施設があるほか若干の商業施設が点在する。(かつて、大船ラドン温泉もあった) また、西部の丘陵地には1876年に開校した横浜市立千秀小学校があり、地域中央部には丘陵地の端部に「田谷の洞窟」で知られる瑜伽洞がある。
歴史

かつては鎌倉郡田谷村であったが、1889年(明治22年)に金井・長尾台・小雀の各村の区域より長尾村が成立。1915年(大正4年)に長尾村のうち旧小雀村を除く部分が豊田村と合併。1939年(昭和14年)4月1日に横浜市戸塚区に編入され、戸塚区田谷町が新設された。1961年には住友電気工業が進出[6]1986年に、分区により栄区田谷町となり現在に至る[7]
地名の由来

元々は田屋(田の番小屋のある地)であったとされ、正安3年(1301年)に「相模国長尾郷田屋村」として記載がある。その後田谷に転じ、元禄7年(1694年)には「大田谷村・小田谷村」として記録に残っている。
世帯数と人口

2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁世帯数人口
田谷町686世帯1,355人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移年人口
1995年(平成7年)[8]1,737
2000年(平成12年)[9]1,618
2005年(平成17年)[10]1,622
2010年(平成22年)[11]1,593
2015年(平成27年)[12]1,569
2020年(令和2年)[13]1,500

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移年世帯数
1995年(平成7年)[8]711
2000年(平成12年)[9]677
2005年(平成17年)[10]636
2010年(平成22年)[11]600
2015年(平成27年)[12]572
2020年(令和2年)[13]586

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]

番地小学校中学校
全域横浜市立千秀小学校横浜市立大正中学校

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]

町丁事業所数従業員数
田谷町85事業所2,057人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移年事業者数
2016年(平成28年)[16]92
2021年(令和3年)[15]85

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移年従業員数
2016年(平成28年)[16]1,991
2021年(令和3年)[15]2,057


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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