田臥 勇太
Yuta Tabuse
宇都宮ブレックス No.0
ポジションPG
所属リーグBリーグ
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1980-10-05) 1980年10月5日(42歳)
出身地 神奈川県横浜市金沢区
血液型A型[1]
身長173cm (5 ft 8 in)
体重77kg (170 lb)
シューズ29cm[2]
キャリア情報
高校秋田県立能代工業高等学校
大学ブリガムヤング大学ハワイ校(中退)
プロ選手期間2002年?現在
経歴
2002-03トヨタ自動車アルバルク
2003-04ロングビーチ・ジャム
2004-05フェニックス・サンズ
2005ロサンゼルス・クリッパーズ
2005-06アルバカーキ・サンダーバード
2006-07ベーカーズフィールド・ジャム
2007-08アナハイム・アーセナル
2008-リンク栃木ブレックス
栃木ブレックス
宇都宮ブレックス
受賞歴
スーパーリーグ ルーキーオブザイヤー(2002-03)
JBL ベスト5(2008-09)
JBL アシスト王(2008-09)
JBL スティール王(2008-09)
JBL プレーオフMVP(2009-10)
NBL ベスト5(2013-14、2014-15、2015-16)
NBL アシスト王(2013-14、2014-15)
NBL スティール王(2013-14)
年間ベスト5賞(2009、2010、2013-2016)
選手情報
田臥 勇太(たぶせ ゆうた、1980年〈昭和55年〉10月5日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。神奈川県横浜市金沢区出身。ポジションはポイントガード。Bリーグ・宇都宮ブレックス所属。
秋田県立能代工業高等学校時代には世界ジュニア選抜に選ばれた。2004年、フェニックス・サンズの開幕ロースターに入った日本人初のNBAプレーヤーである。身長173cm、体重77kg[3]。 1980年10月5日、神奈川県横浜市金沢区に生まれる。父親は植木職人。高校時代に関東大会まで進んだ母親の影響で小学校2年生(8歳)でバスケットボールを始める。ミニバスケット時代は横浜市戸塚区の矢部小学校ミニで経験を積んだ。[4]小学校3年生からはソフトボール(ポジションはキャッチャー)も掛け持ちで始め、シニアリーグからの誘いもあるほどだったが、中学からはバスケットボールを選んだ[5]。1993年4月、横浜市立大道中学校に入学後、1995年8月の第25回全国中学校バスケットボール大会に出場し3位。大会ベスト5に選出された。1995年、ベネッセコーポレーション(当時は福武書店)のテレビCMでパトリック・ユーイング(当時ニューヨーク・ニックス)と共演した。 1996年4月、バスケットボールの名門校・秋田県立能代工業高等学校に入学後、即スタメンとなり、3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の「9冠」を達成。公式戦で敗れたのは、1年生の時の東北大会で仙台高校に敗れたわずか1回のみである(ただし、この試合で田臥は勝負の瀬戸際に5ファールで退場している)。全国高校選抜では3年連続でベスト5に選出された。高校3年生時は地元で開かれたかながわ・ゆめ国体に出場、全国高校選抜では東京体育館に1万人の観客を動員した。また、この9冠目の試合が同校で50回目の全国大会優勝でもあった。現役高校生としては史上2人目の全日本候補選手に選ばれた。 1998年、アジア・ジュニア選手権で3位となり、翌年のジュニア世界選手権に出場した。1999年1月、史上初の特別推薦で能代工業高等学校が全日本総合選手権に出場した。同年3月、ナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜と世界ジュニア選抜)に日本人として初めて出場した。同年7月、男子ジュニア世界選手権大会に出場し14位。 2000年、NCAA2部のブリガムヤング大学ハワイ校へ留学。しかし、2年間は単位取得や怪我(椎間板ヘルニア)のためにプレイが出来なかった。初めて選手登録された2001年には、「日本のジョーダン」と紹介され、全試合に先発出場。MVPに選ばれたゲームもあった。2001年8月、ヤングメン世界選手権に出場し11位。2002年、大学を3年半で中退した。 2002年5月、スーパーリーグ・トヨタ自動車アルバルクに入団した。同年11月8日、02-03年の開幕戦新潟アルビレックス戦の第3クォーターから出場し、JBLデビュー。14分の出場で8得点、2アシスト。満員御礼となる3,323人の観客を動員した。レギュラーシーズン21試合・プレーオフ4試合すべてに出場し、通算113得点・63アシストを記録。チームの準優勝に大きく貢献し、新人王を受賞、オールスターゲームにもファン投票1位で選出された。 2003年5月、トヨタ自動車アルバルクを退団し、同年7月、NBAダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加した。同年9月、NBAのデンバー・ナゲッツと契約し、プレシーズン戦3試合に出場したが開幕ロースターには残れず解雇された。ナゲッツのチームメイトには田臥よりも身長の低い165cmのアール・ボイキンスがいたが、ポジションを奪うことはできなかった。
経歴
生い立ち
高校時代
大学時代
スーパーリーグ時代
アメリカ挑戦時代 2008年アーセナル時代の田臥
Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef