田澤 純一ENEOS野球部 #36
ボストン・レッドソックス時代
基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県横浜市神奈川区
生年月日 (1986-06-06) 1986年6月6日(37歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2008年 アマチュアFA
初出場MLB / 2009年8月7日
CPBL / 2021年3月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
横浜商科大学高等学校
新日本石油ENEOS
ボストン・レッドソックス (2009, 2011 - 2016)
マイアミ・マーリンズ (2017 - 2018)
ロサンゼルス・エンゼルス (2018)
埼玉武蔵ヒートベアーズ (2020)
味全ドラゴンズ (2021)
ドゥランゴ・ジェネラルズ (2022)
ENEOS
国際大会
代表チーム 日本
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田澤 純一(たざわ じゅんいち、1986年6月6日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の社会人野球選手(投手)。右投右打。愛称はタズ[1]。社会人野球のENEOS所属。
新聞などのメディアの一部では、田沢 純一と常用漢字表記に置き換えられることがある。
日本のプロ野球を経由せずにアマチュアFAとしてメジャーリーグベースボール(以下:MLB)球団と契約し、マイナー契約を経ずにメジャー契約を結んだ初の日本人選手(後述)。 小学3年から少年野球チーム「三ツ沢ライオンズ」で野球を始め、横浜市立松本中学校の軟式野球部では2年時の横浜市大会ベスト16が最高成績。 横浜商科大学高等学校では1年夏からベンチ入り。2年次には背番号10で夏の甲子園に出場するも登板はなかった。3年夏はエースで神奈川県予選でベスト4入りするが、準決勝で涌井秀章を擁する横浜高等学校に3-16で敗れた[2]。 高校卒業後は新日本石油に入社。主にリリーフを務め、入社2年目の2006年には第33回社会人野球日本選手権大会でベスト4進出の原動力となる。ドラフト指名解禁年の2007年には複数の球団が大学・社会人ドラフトの1巡目(希望枠)候補として検討していたが、リリーフ失敗など前年に比べると精彩を欠いたこと、また秋から挑戦した先発転向も結果が残せなかったことなどから残留を表明[3]。 2008年はJABA東京スポニチ大会準々決勝(対JFE東日本戦)で5連続・6連続を含む大会新記録の18奪三振[4]。同年夏の第79回都市対抗野球大会では全5試合に登板して1完封を含む4勝を挙げ、投球回数28回1/3で4失点、奪三振36・防御率1.27という成績で大会MVPに当たる橋戸賞を受賞した[2]。 2008年9月11日、記者会見でMLB挑戦の意思を表明[5]。同時に日本プロ野球(NPB)の12球団宛にドラフト指名を見送るよう求める文書を送付した。日本球団からのドラフト上位指名が確実視される選手が日本球界入りを拒否しメジャーリーグ挑戦を表明したことは「田澤問題」として日本プロ野球のドラフト制度に問題を提起した[6]。 従来、NPB/MLB間には、互いの国のドラフト候補選手とは交渉しないという紳士協定があったが、田澤のようにアマチュア選手本人がメジャー挑戦を希望しているにもかかわらず、これを阻害することは職業選択の自由に反するため、この例外となった[7]。一方で、日本球界側からは田澤に続いて有力アマチュア選手が直接、MLBに行くようになることで、ドラフト制度の崩壊を懸念する声も挙がった[8]。 この結果、日本のプロ野球のドラフト指名を拒否して、海外のプロ野球球団と契約した選手は、海外球団を退団した後も一定期間(大卒・社会人は2年間、高卒選手は3年間)は、NPB所属球団と契約できないとする12球団の申し合わせ事項(いわゆる田沢ルール)が設けられた[9][注 1]。 2020年9月7日、日本プロ野球選手会が日本野球機構(NPB)側に申し合わせ事項の撤廃を要望したことに加え、選手の育成環境が変化していることから、NPBは臨時代表者会議において、申し合わせ事項の廃止と、それに代わる新たなルールも作らないことを決定した[10][11]。これにより、10月26日のドラフト会議で、田澤も指名対象となった[10]。しかし、どの球団も田澤を指名しなかった[12]。11月5日、公正取引委員会はNPBの申し合わせ事項について、独占禁止法に違反する疑いがあると発表した。なお、前述の通り、同年9月に申し合わせ事項を廃止したことから、NPBへの処分は行わずに調査を終了した[11][13]。 2008年12月4日にボストン・レッドソックスと3年総額400万ドル(約3億8000万円)でメジャー契約を結んだ[14]。日本のプロ野球を経由せずにアマチュアFAとしてMLB球団と契約し、MLBにまで昇格した日本人選手としてはマック鈴木と多田野数人に続いて3人目、中でもマイナー契約を経ずにメジャー契約を結んだ初の日本人選手となった[15]。レッドソックス時代(2012年) (日付は全て現地時間) 2009年はメジャーのスプリングトレーニングに合流。5試合で9回1失点と好投を続けていたが、当初の育成方針通りに進まず、3月22日にはマイナー行きが告げられた[16]。AA級ポートランド・シードッグスでは開幕投手を務め、18試合に登板して9勝5敗、防御率2.57、WHIP1.08の好成績を残した[2]。
経歴
プロ入り前
田澤問題
プロ入りとレッドソックス時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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