凡例田沼意壱
時代江戸時代中期
生誕安永9年(1780年)
死没寛政12年9月17日(1800年11月3日)
改名万吉・万之助(幼名)、意壱
別名意吉
墓所静岡県牧之原市の西大寺
官位従五位下、左衛門佐
幕府江戸幕府
主君徳川家斉
藩陸奥下村藩主
氏族田沼氏
父母田沼意知
兄弟意明、意壱、意信
妻新見正偏
田沼 意壱(たぬま おきかず)は、江戸時代中期の大名。陸奥国下村藩2代藩主。官位は従五位下・左衛門佐。田沼家3代。田沼意次の孫。
略歴の娘。
寛政8年(1796年)に兄意明の早世により跡を継いだ。しかし病弱だったため、意壱も寛政12年(1800年)9月17日に早世した。享年21。
小夜の間との子を儲けたが、未熟児で幼少のころ他界したとされている。弟の意信が養嗣子として跡を継いだ。 父母 正室
系譜
田沼意知(父)
新見正偏
養子
田沼意信 - 意知の四男
表
話
編
歴
田沼氏陸奥下村藩2代藩主 (1796年 - 1800年)
田沼意明1787-1796
田沼意壱1796-1800
田沼意信1800-1803
田沼意定1803-1804
田沼意正1804-1823
遠江相良藩に転封、廃藩