田村駅
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この項目では、日本の滋賀県にある北陸本線の駅について説明しています。

かつて香川県にあった琴平参宮電鉄の駅については「琴平参宮電鉄#鉄軌道事業」をご覧ください。

中華人民共和国北京市にある北京地下鉄6号線の駅については「田村駅 (北京市)」をご覧ください。

田村駅
駅舎(東口、2020年11月)
たむら
Tamura

◄JR-A09 長浜 (3.0 km) (2.3 km) 坂田 JR-A11►

所在地滋賀県長浜市田村町南仙堂1210.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分22.71秒 東経136度16分54.53秒 / 北緯35.3563083度 東経136.2818139度 / 35.3563083; 136.2818139座標: 北緯35度21分22.71秒 東経136度16分54.53秒 / 北緯35.3563083度 東経136.2818139度 / 35.3563083; 136.2818139
駅番号JR-A10
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 北陸本線琵琶湖線
キロ程41.2 km(敦賀起点)
電報略号タム
駅構造地上駅
ホーム2面2線[1]
乗車人員
-統計年度-1,077人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日1931年昭和6年)10月14日[2][3]
備考無人駅[1](自動券売機 有)
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田村駅(たむらえき)は、滋賀県長浜市田村町南仙堂にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線である。駅番号はJR-A10[4]。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている[5]
歴史機関車留置線跡(2007年4月)詳細は「北陸本線#米原駅 - 敦賀駅間の輸送改善」を参照

1931年昭和6年)、東海道本線彦根駅と北陸線長浜駅の間にガソリンカー運行が開始されたことを契機に、先行開業した法性寺駅(現・坂田駅)に続いて既存駅間に新設された気動車列車向けの駅であった。このため、燃料不足で気動車運行ができなくなった戦時期から戦後しばらくまで営業を休止している。

1957年(昭和32年)の北陸本線交流電化の起点となり[3][6]、当駅から敦賀駅へはED70形電気機関車が牽引することになった[6]。米原駅 - 当駅間は非電化のまま残り、E10形蒸気機関車D50形蒸気機関車が牽引。後年はディーゼル機関車が牽引していた[6]。当駅で機関車交換を行うため上下ホームを千鳥配置に変更。上下線間に2本の機関車留置線が設けられた[6]。機関車交換で急行列車などの長編成が停車するため、プラットホームの延長も行われた[6][7][8]

機関車の留置線は南北の組に分かれており、北側には交流電気機関車を、南側には米原駅との間を往復する蒸気機関車を収容した[6]。ただし、当駅には転車台は設けられず、上り列車のテンダー機関車は逆向きのまま米原駅まで向かっていた[注釈 1]

当駅から敦賀駅までの交流電化が行われた当時は、一般の客車列車に自動扉が装備されていなかった時代で、後年のように乗降扉を施錠した状態で客扱いしない「運転停車」措置を実効的に行うことはできず、機関車交換のために当駅に停車する急行列車の発車時刻が市販の時刻表に記載されていた。一方、手動扉ながら扉の一斉施錠が可能な20系を使用した特急「日本海」「つるぎ」は客扱いを行わなかった[6]

1962年(昭和37年)に米原駅 - 当駅間が電化され、当駅南方にデッドセクションが設けられた。交直流電車や気動車で運転される特急・急行は当駅を通過したが、交直両用電気機関車の量産がなかったため[注釈 2]、米原駅 - 当駅間のSL牽引は残り、のちにDD50形、その後DE10形ディーゼル機関車により無煙化された[6]

当駅での機関車付け替え廃止は1983年(昭和58年)。すでに北陸本線で活躍していた交直両用機EF81形での車上切り換えが米原口へ完全移行したためである[6]。無用となった機関車留置線は撤去されが、ホームと上下本線の再移設は行われず、上下の開いた空間がかつてを偲ばせる[6]

事務管コードは▲541402である。
年表

1931年昭和6年)10月14日国有鉄道北陸本線の駅(旅客駅)として、法性寺駅(現在の坂田駅) - 長浜駅間に新設開業[3][8]

1940年(昭和15年)11月1日:営業休止[9]

1954年(昭和29年)12月10日:営業再開[9]

1957年(昭和32年)10月1日:当駅 - 敦賀駅間が交流電化される[10][11]

1962年(昭和37年)12月28日:当駅 - 米原駅間が直流電化される。

1971年(昭和46年)3月25日荷物の取り扱いを廃止[12]駅員無配置駅となる[13]

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる[9]

1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により(制定は同年2月5日[14]、「琵琶湖線」の愛称を使用開始。

1991年平成3年)9月14日:当駅 - 長浜駅間の電化方式を交流から直流に変更[15]。それに伴い、京阪神からの新快速の直通運転を開始[16]

1998年(平成10年)12月15日自動改札機を設置し、供用開始[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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