田村智子
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日本政治家田村 智子たむら ともこ
2023年3月30日、国会内にて
生年月日 (1965-07-04) 1965年7月4日(58歳)
出生地 日本 長野県小諸市
出身校早稲田大学第一文学部卒業
前職日本民主青年同盟東京都委員会専従
日本共産党国会議員団事務局員
石井郁子議員秘書
井上美代議員秘書
所属政党日本共産党
称号文学士
公式サイト日本共産党 参議院議員 田村智子
参議院議員
選挙区比例区
当選回数3回
在任期間2010年7月26日 - 現職
日本共産党
第6代 中央委員会幹部会委員長
在任期間2024年1月18日 - 現職
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田村 智子(たむら ともこ、1965年昭和40年〉7月4日 - )は、日本政治家日本共産党所属の参議院議員(3期)。日本共産党中央委員会幹部会委員長
来歴

1965年7月4日 長野県小諸市に生まれる。実家は紙と文具卸商で、父親はキリスト教プロテスタント)の信者だった[1]。姉と弟がいる次女である[2]。旧姓は山崎。小諸市立野岸小学校5年生のとき、NHK全国学校音楽コンクールに長野県代表として出場した[3]。小諸市立小諸東中学校、長野県野沢北高等学校でも合唱に没頭。高校でもヴェルディモーツァルトのレクイエムなどを歌い、文化祭では「愛の妙薬」「ノルマ」「真珠採り」などオペラを3年続けて開催した[4]
上京・民青加盟

1984年、早稲田大学第一文学部に入学。すぐに混声合唱団に入り、本格的な声楽が学べるサークル活動に没頭した[5]。入学年度の冬、大学側が、翌年から財政を黒字にするために学費を値上げしていく「スライド制学費」を導入すると発表した。ただし、在学生の学費は旧来の学費固定であった[5]。それに関し「おかしいよね」と話しかけたクラスメートがたまたま反対運動を始めていた日本民主青年同盟(日本共産党の下部組織民[6])のメンバーだった。ストライキは失敗に終わり、大学側によるスライド値上げ自体は予定通り実施された。値上げ阻止には失敗したが、悩んだ末に民青への加盟を決心した[7][5]。翌1985年10月に日本共産党にも入党[8]
民青・日本共産党の専従時代

1988年3月、早稲田大学卒業[9]。日本民主青年同盟に就職(専従職員)となる[10][11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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