田幡
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田幡・田幡町
町丁
田幡・田幡町田幡の位置愛知県の地図を表示田幡・田幡町田幡の位置名古屋市の地図を表示
北緯35度11分44.39秒 東経136度54分32.71秒 / 北緯35.1956639度 東経136.9090861度 / 35.1956639; 136.9090861
日本
都道府県 愛知県
市町村 名古屋市
北区
西区
人口(2019年(平成31年)1月1日現在)[WEB 1]
 ? 合計1,714人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号462-0843(北区田幡)[WEB 2]
462-0000(北区田幡町)[WEB 3]
451-0026(西区田幡町)[WEB 4]
市外局番052 (名古屋MA)[WEB 5]
ナンバープレート名古屋

田幡(たばた)は、愛知県名古屋市北区西区にある地名。現在の行政地名として、北区田幡には1丁目・2丁目、北区田幡町には3つの字が、西区田幡町には1つの字がある。
目次

1 地理

1.1 河川


2 歴史

2.1 由来

2.2 沿革


3 字一覧(田幡村)

4 世帯数と人口

5 学区

6 交通

6.1 鉄道

6.2 バス


7 施設

7.1 北区田幡


8 旧跡

9 その他

9.1 日本郵便


10 脚注

10.1 WEB

10.2 新聞

10.3 書籍


11 参考文献

12 関連項目

13 外部リンク

地理

西区と北区にまたがって現存する田幡町と、昭和時代に新たに編成された田幡からなる。現在は地理的に離れて存在しているが、すべて西春日井郡田幡村をルーツとする地名である。田幡町は西区田幡町字西ハサバと、北区田幡町字東東光寺・西東光寺・塩藪の計4つの字として残されている。字西ハサバは住宅地であるが、北区に残る田幡町は堀川(黒川)と道路の一部で宅地は存在しない。北区田幡は区の南西部に位置する。丁目は南から順に付番されている。東端は国道41号(道路上に名古屋高速道路1号楠線)を境に黒川本通1丁目、北端は名古屋市道名古屋環状線を境に東側が志賀南通1丁目で西側が城見通3丁目、西端は金城3・4丁目、南端は堀川(堀川は前述の通り北区田幡町)を挟んで西側が柳原3丁目と東側が清水4丁目と接している。西区田幡町は区の東端に位置する。東は北区駒止町、北から西にかけて城北町、南は秩父通に接する。
河川

堀川(黒川)

歴史
由来

田幡という地名について、『尾張国地名考』には棚機から転じたという説と田之端(たのはた)から転じたという説の二説が紹介されているという[1]。また、字西ハサバについては珍地名(主に交差点名・バス停名)として知られており、由来として複数の説が指摘されている。一つは「川と川の間が狭いという『はざま』がなまった」と言う説、一つは「機織りの『機場(はたば)』がなまった」とする説、一つは「新潟・富山・福井・岐阜などで」「稲架」の意として使われるという[2]「稲架(はさ)」のある場所としての「稲架場(はさば)」であるとする説の三説である。[新聞 1]地元の地名研究家である水谷盛光によれば、かつて付近には機織り工場が多く所在し「機場(はたば)」と称していたのを、名古屋市交通局がバス停を設置する際に「ハサバ」としたために生まれた地名であり、現在は繊維業の衰退によりその痕跡がなくなってしまったという[3][WEB 6]。また、名古屋史料研究所の山田寂雀は、「一帯には三郷用水などがあり、水路が入り組んでいた」ことから「狭間」が転じた説を支持し、「稲架場」説に理解を示しつつも疑問を呈している[新聞 1]
沿革

南北朝時代から戦国時代 - 尾張国山田郡の郷、のちに春日部郡の郷となる。この時代の複数の記録に存在が記されている。

江戸時代 - 尾張国春日井郡の尾張藩領、大代官所支配の田幡村として記録されている。

1856年(安政3年) - 同村在住の富永?陽の手により田幡村の地誌である『田幡誌』が成立する。[WEB 7]

1880年(明治13年) - 西春日井郡成立により、同郡所属となる。

1889年(明治22年) - 西春日井郡金城村の大字田幡となる。

1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市編入に伴い、同市西区田幡町となる[4]

1937年(昭和12年) - 一部が東区田幡町となる。

1944年(昭和19年) - 北区成立に伴い、東区田幡町が北区田幡町となり、同時に西区田幡町から一部が編入される。

1952年(昭和27年)12月20日 - 以下の区域変更が行われた[4]

北区田幡町の一部(字防田・釈迦堂・畑中・堀田・市場屋敷・馬出し・浜江場・志賀前・猪ノ木・森下の各一部)・杉村町の一部(字道下の一部)・志賀町の一部(字勘定寺前の一部)により北区田幡町1?2丁目が編成される。

北区田幡町の一部(字畑中・猪ノ木・森下・堀田・北原・中屋敷・塩藪・市場屋敷・志賀前・志賀前角田の各一部)が金城町1?2丁目に編入。

北区田幡町の一部(字北蓮花寺・南蓮花寺・円蔵・北原・志賀前角田の各一部)が駒止町1?2丁目に編入。

北区田幡町の一部(字南蓮花寺・八反田・横枕・円蔵・ハサバ・志賀前・猪ノ木・北原・志賀前角田・釈迦堂・深ノ川・馬出し・浜江場の各一部)が城見通1?3丁目に編入。

北区田幡町の一部(字深ノ川・志賀前の各一部)が敷島町に編入。

北区田幡町の一部(字前並下ノ町・前並中ノ町・前並上ノ町・塩藪の各一部)が七夕町1?2丁目に編入。

北区田幡町の一部(字二反田・乾イ出・御膳田・天神田・前並下ノ町・前並中ノ町・半ノ木・西屋敷・堀田・前並上ノ町・中屋敷・塩藪の各一部)が中富町1?2丁目に編入。

北区田幡町の一部(字御膳田・八反田・ハサバ・天神田・南蓮花寺・二反田・乾イ出・西屋敷・森下・堀田・寺裏・北原の各一部)が若園町1?2丁目に編入。


1952年(昭和27年)から1982年(昭和57年) - この期間に北区田幡町の一部より七夕町[5]・中富町[6]・若園町[7]・敷島町[8]・黒川本通・柳原・清水・田幡が編成され、北区田幡町の面積を減らしていった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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