田尻町立小学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度23分35.4秒 東経135度17分19.0秒 / 北緯34.393167度 東経135.288611度 / 34.393167; 135.288611
田尻町立小学校(たじりちょうりつしょうがっこう)は、大阪府泉南郡田尻町吉見にある公立小学校。同町で唯一の小学校である。 明治時代初期の学制発布により、当時の日根郡嘉祥寺村(町村制実施で田尻村)に堺県泉州七十番嘉祥寺小学校が創設された。七十番小学校は嘉祥寺・吉見(町村制実施で田尻村)・岡本(町村制実施で南中通村、現泉佐野市)の3村を校区としていた。 七十番嘉祥寺小学校はその後、1876年に岡本村を校区から外している。また1880年には嘉祥寺小学校より分離する形で、吉見村に吉見小学校が開校している。 嘉祥寺・吉見の両小学校は1886年4月に合併し、多知里(たじり)小学校と称した。学校の名称は、嘉祥寺・吉見の両村の境界を流れる田尻川から、「多くの理を解し智を深くしてほしい」という願いを込めて漢字表記を変更したものである。 しかし2年後の1888年には、再び吉見・嘉祥寺の両簡易小学校に分離している。吉見簡易小学校は1893年に吉見尋常小学校に改編し、また嘉祥寺簡易小学校は1894年に嘉祥寺尋常小学校に改編している。 この間の1889年に、町村制により吉見村・嘉祥寺村が合併し、日根郡(1896年郡の合併で泉南郡)田尻村が発足している。 村の小学校として1906年5月1日に吉見尋常小学校と嘉祥寺尋常小学校が合併し、泉南郡田尻尋常小学校が発足した。学校沿革史の上では、田尻尋常小学校の発足をもって学校創立と位置づけている。 当初は旧嘉祥寺尋常小学校跡に仮教室を設置していたが、1908年1月に田尻村大字吉見・旧陣屋跡の現在地に校舎を新築している。
沿革
年表
1906年5月1日 - 前身の吉見・嘉祥寺の両尋常小学校を合併。泉南郡田尻尋常小学校として創立。
1911年4月 - 高等科を併設。泉南郡田尻尋常高等小学校に改称。
1941年4月1日 - 国民学校令により、泉南郡田尻国民学校に改称。
1947年4月1日 - 学制改革により、田尻村立小学校に改称。校舎内に田尻村立中学校(現・田尻町立中学校)を併設。
1949年5月26日 - 田尻村立中学校が独立校舎(隣接地)に移転。
1953年5月 - 町制施行により、田尻町立小学校に改称。
1954年 - 学校給食を開始。
通学区域
泉南郡田尻町 全域。
卒業生進学先:田尻町立中学校
関係者
宮本常一 - 民俗学者。元同校教員(在職1929年-1930年)。
交通
南海本線吉見ノ里駅から北西へ約400m。
参考文献
田尻町史編纂委員会『田尻町史』2006年。
田尻町教育委員会『田尻の教育』1988年。
関連項目
大阪府小学校一覧