田家秀樹
[Wikipedia|▼Menu]

たけ ひでき
田家 秀樹
田家秀樹(左写真)と息子の田家大知(右写真)
生誕 (1946-09-12) 1946年9月12日(77歳)
日本千葉県船橋市
国籍 日本
出身校中央大学法学部政治学科卒業
職業音楽評論家
放送作家
ノンフィクション作家
音楽番組パーソナリティ
音楽番組監修者
活動期間1969年 - 現在
団体日本放送作家協会会員
日本レコード大賞審査副委員長
ソングコンテストグランプリ審査員
東京医科歯科大学(教養部芸術担当)講師
著名な実績著書『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』
著書『オン・ザ・ロード・アゲイン 浜田省吾ツアーの241日』
著書『豊かなる日々 :吉田拓郎奇跡の復活』
著書『いつも見ていた広島:小説吉田拓郎:ダウンタウンズ物語』
著書『ポップコーンをほおばって:甲斐バンド・ストーリー』
テレビ番組『アップルシティ500
music plant ノギタケ
子供田家大知
受賞日本民間放送連盟賞
ギャラクシー賞
公式サイト ⇒http://takehideki.jimdo.com
テンプレートを表示

映像外部リンク
浜田省吾 撮影秘話!「A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988」トークショー付き先行上映会:前編/板屋宏幸(監督)田家秀樹(音楽評論家)岩熊信彦(プロデューサー) - YouTube
2017.2.27FM COCOLO吉田拓郎特集・田家秀樹J-POP LEGEND FORUMゲスト武部聡志 - YouTube
SPECIAL INTERVIEW氷室京介の孤高なる軌跡を収めた愛蔵版『KYOSUKE HIMURO since 1988』 著者・田家秀樹氏が語る氷室京介 - YouTube

田家 秀樹(たけ ひでき、1946年9月12日 - )は、日本の音楽評論家ノンフィクション作家音楽番組パーソナリティ音楽番組監修者日本放送作家協会会員、「日本レコード大賞」審査副委員長、「ソングコンテストグランプリ」審査員、元東京医科歯科大学(教養部芸術担当)講師。千葉県船橋市出身、中央大学法学部政治学科卒業。息子は音楽プロデューサー田家大知
概要

日本のロックポップスを創生期から見続けている。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者になり、文化放送セイ!ヤング」などの放送作家、「レタス」(サンリオ)などの若者向け雑誌編集長などを経験。放送作家としては、日本民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント部門で最優秀賞(2001年)や優秀賞などを受賞。著書に『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』『オン・ザ・ロード・アゲイン 浜田省吾ツアーの241日』など多数ある[1]
経歴

千葉県船橋市に生まれる[2][3]船橋市立船橋小学校から1954年昭和29年)に府中市立府中第二小学校転校・卒業。府中市立府中第一中学校東京都立三鷹高等学校中央大学法学部政治学科を卒業[3]

1969年(昭和44年)タウン誌のはしりとなった『新宿プレイマップ』(新都心新宿PR委員会発行)の創刊に、編集者として参加した[3][4]

1970年(昭和45年)『セイ!ヤング機関誌・ザ・ヴィレッジ』(文化放送発行)の編集人に就任し創刊[4]

1971年(昭和46年)放送作家として番組構成を始める。文化放送はしだのりひこのビューティフル・ノンノ』を担当。『落合恵子のサウンドフォーク』『さだまさしのサンデーニューミュージック』『セイ!ヤング』などのラジオ番組の構成も手がけた[3][4]

1974年(昭和49年)第1子・大知が誕生(ゆるめるモ!を始めとする音楽プロデューサー[5]

1975年(昭和50年)『セイ!ヤング機関誌・ザ・ヴィレッジ』終刊。放送作家に専念する。文化放送を中心にレギュラー番組13本を担当[2]

1976年(昭和51年)文化放送『ダイナミックジャンボ・ニュース探検』にて初めてレポーターを担当。毎週15分番組で1年間担当した[2]

1978年(昭和53年)飛行船出版の雑誌『タイフーン』編集長に就任『6号で休刊)。翌年、サンリオ出版の雑誌「レタス」を創刊、編集長に就任。編集プロダクション「レタス」を発足[2][1]

1982年(昭和57年)徳間書店の雑誌『DO!』を創刊、編集長に就任[2][1]

1983年(昭和58年)TBSテレビ放送の夕方帯番組『アップルシティ500』のMCを担当。世界一周に出かけるルポライター戸井十月の代役だった。その後、文筆業に専念[2]

1984年(昭和59年)37才のときにソニーマガジンズから初の著書『33回転の愛のかたち:あなたはユーミン?それともみゆき?』を出版(1989年に角川文庫にて文庫化)。ライターとして生きてゆこうと思うんだったら40になる前に一冊でも本を書いておかないと先が大変だよ、と講談社編集長からアドバイスがあったのが理由。33回転はアナログ盤のLPは33回転から来ている。レコードの中の愛のかたちを意味している[6]

1995年平成7年)東京医科歯科大学非常勤講師に就任。教養部芸術を担当(2001年まで登壇)[2]

2001年(平成13年)「検証!中津川フォークジャンボリー」(NACK5/企画構成)が日本民間放送連盟賞「ラジオエンターテインメント部門」優秀賞[2]ギャラクシー賞を受賞[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:61 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef