田宮模型
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株式会社タミヤ
TAMIYA, INC.
種類株式会社
本社所在地 日本
422-8610
静岡県静岡市駿河区恩田原3-7
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分8.4秒 東経138度25分9.0秒 / 北緯34.969000度 東経138.419167度 / 34.969000; 138.419167座標: 北緯34度58分8.4秒 東経138度25分9.0秒 / 北緯34.969000度 東経138.419167度 / 34.969000; 138.419167
設立1984年3月24日
業種その他製品
法人番号4080001003296
事業内容プラスチックモデル、ラジオコントロールモデル、工作キット及び関連製品の製造販売
代表者.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

代表取締役会長社長 田宮俊作

資本金5000万円
従業員数362名(2023年1月)
外部リンクwww.tamiya.com
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株式会社タミヤ(: TAMIYA, INC.)は、静岡県静岡市に本社を置く模型プラモデルメーカー。世界有数[1]の総合模型メーカーである。旧社名は「株式会社田宮模型」[2]

艦艇飛行機AFVなどのプラモデル、ラジコンカーミニ四駆ダンガンレーサーといった可動模型、「楽しい工作シリーズ」といった工作用パーツ類・キット[3][注 1]プラバンなどの素材、塗料エアブラシコンプレッサーなどの塗装道具と模型に関連する広範囲の商品を扱っている。

「初心者にも分かりやすく作りやすい」をコンセプトに企画から金型製作[4][5]ボックスアートまで自社一貫体制で対応しており、日本国内では随一の開発力を持つ。
会社概要
創業静岡市駿河区小鹿にあるタミヤ発祥の地の石碑。(2018年4月撮影)

創業者である田宮義雄は、第二次世界大戦以前運送業を営んでいたが[6]1945年6月の静岡大空襲で事業基盤の大半を焼失してしまったため、戦後製材業に転じ、1946年に「田宮商事合資会社」を設立[6]1948年には木製木工部門を設立し、主に船舶飛行機の木製模型を製作していた[7]。しかし、1951年に漏電が原因で火災が発生。会社社屋や在庫の木材等を焼失したため大きな借金を抱え、材木の仕入れにも支障をきたすようになったため、1953年には一般建築材の製材販売を廃し、模型専業メーカーとなる[7]
プラスチックモデルへの参入

1950年代半ばから日本国外製プラスチックモデルが輸入され始め、木製模型の売上が減少していったことから、プラスチックモデルを製造することが1959年に決定され、翌1960年にタミヤのプラモデル第1作目として1/800スケール戦艦大和を発売した[7]。しかし、同時期に栃木の模型メーカー・日本模型(略称ニチモ)が同型艦武蔵の1/750スケールキットを350円で発売したため、タミヤも赤字覚悟で同価格に設定したが、売上は届かず惨敗となった。金型製作費の回収ができなかったため、再び木製模型の商品化を行ったが、その間にも当時の模型業界の流れはプラモデルへと主軸が移り始めていた。なお、創業者の田宮義雄の自伝にはタミヤ第一弾プラモデルは武蔵だったと記されているが、「田宮模型全仕事」の編集中に大和が同社第一弾だった事が確認された。

1960年代に入ると、ひょんな事からプラスチック玩具の不要になった金型を借り受けることができ、それを利用して発売したレーシングカーのミニ・キットが幸運にもヒットし、資金的に次のプラモデル製作の目処が立った。第2作目のプラモデルは形状が直線的で金型が作りやすいパンサー戦車に決定し、箱絵はイラストレーター小松崎茂に依頼された。1962年の正月に発売された同キットは、モーターを搭載し、よく走ること、組み立てやすく説明文が丁寧であることから好評となった。

後のミリタリー分野のスケールモデルの定番となる.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄35という縮尺は、この時に生まれた。このサイズは、戦車内部に単二形乾電池が2本収まることを考えた設計のためであり、当時は正確なスケールを求める模型ファンは少なく、このスケールは偶然の産物である(後述)[8]
金型

現在金型は自社で製作している[9]。以前は外注しており、外注先の納期遅れや不透明な価格設定に苦労していた。そこで金型職人をスカウトし1964年に金型部が発足した。1966年から社員数人を金型製造工場に出向させ、徐々にノウハウを蓄積し自社で金型製造を行うようになった。現在ではCAD/CAMシステムも導入されている。

同社の金型は極めて精度が高いことで知られ[9]、その精度は組み立てた際の仕上がり具合にも影響する。かつての設計図と金型職人の職人芸によってプラモデルが製造されていた時代には、他社製品が細部のボルトリベットと同様に単なる半球の突起で表現していた頃に、きちんと小さな六角柱で表現していた。
星のマーク

タミヤがプラモデルを初めて発売するにあたって、田宮俊作(義雄の子、後に社長。現会長)は、新しいマークを当時東京芸術大学デザイン科の学生だった弟の田宮督夫(まさお)に依頼し、誕生したのが「星のマーク(通称ツインスター[10])」である。


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