田地
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この項目では、農地について説明しています。

漢姓については「田 (姓)」をご覧ください。

漢字の部首については「田部 (部首)」をご覧ください。

「水田」はこの項目へ転送されています。その他の「水田」については「水田 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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出典検索?: "田" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年5月)
田植え前の田 田植え後の田 夏の水田 スズメなどによる食害を防ぐため反射テープを張った田 秋の稲穂 刈田と稲木に架けた稲の天日干し 刈田完了後の田 鑑賞を前提に作られた田 イラン マーザンダラーン州の田 タイ王国 チェンマイ県の田 イタリア ロンバルディア州の田 アメリカ カウアイ島のタロ芋田

田(た)は、穀物を栽培するために区画された農地をいう。田圃(たんぼ)、水田(すいでん)ともいう。目次

1 歴史

2 定義

2.1 日本における田


3 農業形態としての田

4 文字文化としての田

5 田にまつわる信仰

6 環境としての田

7 脚注

8 参考文献

9 関連項目

歴史

中国では、紀元前4000-3000年[1]新石器時代馬家浜文化地域で水田跡が発掘されている[2][3][4]有事のために貯蔵されたり、死者の埋葬時に共に埋められたりした新石器時代から皮付きのが発掘されている[5]

中国以外における水田での耕作は、日本では弥生時代[6]フィリピンでは先史時代[7]ベトナムでは新石器時代に[8]朝鮮半島では無文土器時代中期[9]に始まったとされている。
定義

説文解字』に「穀を樹うるを田という」とあり、漢字圏では田を「穀物を栽培するために区画された農地」の語義で使用することが一般的である。現代中国語においても「田」は区画された農地一般を指し、「水田」に限らず、日本語における「」も含まれる。「畑」は日本の国字であり、同様の農地を中国の普通話では「田地(tiandi)」と言う。

日本で単に「田」「水田」というと特に湛水(たんすい)してイネを栽培するため水平に整備された稲田(水田)を指すことが多いが、水田形式の圃場で栽培される作物は稲だけではなかった。穀物ではは畑と並んで水田でも盛んに栽培され、特に稲の栽培に適さない冷水しか供給されない水田では重要な作物であった。また、慈姑田芋といった栄養生殖によって増殖される類、根菜類も重要な水田作物であり、アジア大陸における稲作の起源をこうした芋栽培の水田から派生したものとみる仮説もある。

また、山間部のワサビ田では、水路や沢の水を利用して水ワサビが栽培される。地域によっては空心菜が水田で栽培される。

稲田は、日本・朝鮮から長江流域・東南アジアを経てガンジス水系に至る、稲作栽培を農耕の中心に据えるモンスーン・アジアを中心に見られる。
日本における田 弥生時代前期の小区画水田遺構の例中西遺跡(奈良県御所市)2019年(令和元年)11月発掘調査時。大畦畔(画像左端:手前から奥方向)の区画内(右側)において、幹線小畦畔(手前から奥方向)・支線小畦畔(左右方向)で水田群が区画される。 同上。1つの水田は幹線小畦畔(手前から奥方向)・支線小畦畔(左右方向)で区画される。水田内には当時の足跡も認められる。

「田」は日本では特に稲田を指すことが多いが、当初は、他の漢字圏と同様、日本でも田は穀物農地を意味する語だった。それが次第に稲田に限定して使用されるようになり、そのため、穀物などの農地一般を表す「」という漢字が作られた。

土地の登記事項地目において「田」は「農耕地で用水を利用して耕作する土地」、「畑」は「農耕地で用水を利用しないで耕作する土地」と区別されている。

日本の土質は火山灰の影響や降水量が多いことによって酸性が強い。土壌鉱物成分から植物にとって細胞毒性のあるアルミニウムイオンが溶出しやすく、加えて、火山灰起原の粘土鉱物アロフェンが土中のリン酸を不可逆的に吸着して不溶化するので、畑作農耕には不適な面がある。それにひきかえ、水田という形態は山地から流出した栄養塩類や施肥した肥料など水に溶けた養分を蓄えることから、日本の状況に適合している。また、日本の歴史時代を通じて米は特に宗教的儀礼に用いられ、貢納においても重視されたため、広域流通における通貨的な役割を果たすようになっていった。このため、中国大陸に見られるといった雑穀栽培や冬作のなどの米以外の穀物栽培も食糧生産上は重要であり、実際に稲作農業を補完する重要な役割を果たしていたものの、稲作水田は別格で重視されることとなり、それに伴い「田」も稲作水田を意味するようになったと推測されている。

水田の最初の発見例は、1943年昭和18年)の登呂遺跡の調査で確認された[10]。また、1977年(昭和52年)の群馬県高崎市の日高遺跡の調査では、水路・畦・人間の足跡等が発掘された[11]

日本の稲作開始期である弥生時代から、古墳時代にかけての水田形態は、長さ2・3メートルの(あぜ)に囲まれ、一面の面積が最小5平方メートル程度の「小区画水田」と呼ばれるものが主流で、それらが数百?数千の単位で集合して数万平方メートルの水田地帯を形成するものだった[12]


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