この項目では、東京都大田区の地名について説明しています。
鉄道駅については「田園調布駅」をご覧ください。
東京都世田谷区の地名については「玉川田園調布」をご覧ください。
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田園調布本町
町丁
北緯35度35分8.61秒 東経139度40分30.66秒 / 北緯35.5857250度 東経139.6751833度 / 35.5857250; 139.6751833
国 日本
都道府県 東京
特別区 大田区
地域大森地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口8,020 人
世帯数4,121 世帯
面積([2])
0.431618293 km²
人口密度18581.23 人/km²
郵便番号145-0072[5]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート品川
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田園調布(でんえんちょうふ)は、東京都大田区・世田谷区の広域地名。都内有数の高級住宅街となっている。
町名は大田区田園調布、田園調布本町(でんえんちょうふほんちょう)、田園調布南、世田谷区玉川田園調布。本項では、田園調布および田園調布本町について解説する。
大田区の最西端、世田谷の最南端に位置し、西側を流れる多摩川を都県境として、神奈川県川崎市中原区の東側にあたる。
概要田園調布付近の空中写真(1989年撮影)。
画像中央付近が田園調布駅(当時は地上駅)。駅から同心円状のエトワール型の道路と街路樹、また広場、公園が設けられている。特に駅の西側一体は街路樹等の樹木が多いことが分かる。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成「田園都市株式会社」も参照
田園調布は、1918年(大正7年)に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた「理想的な住宅地『田園都市』の開発」を目的とする田園都市株式会社[6]により主に開発され、1923年(大正12年)8月から分譲開始した地域である。田園都市株式会社は東急電鉄、東急不動産の始祖にあたる会社である。
旧東京市大森区田園調布の一部である。また隣接する世田谷区(旧・玉川村)に玉川田園調布(たまがわでんえんちょうふ)の町名があるが、田園都市株式会社が多摩川台住宅地として田園調布と一体的に造成・分譲を行った地域である。
昭和30年代初頭の住居表示変更により、大田区田園調布一丁目から五丁目が、一丁目から七丁目に変更された。さらに1970年(昭和45年)に地番改正が行われ、中原街道から北側の田園調布三丁目から七丁目を一丁目から五丁目に、中原街道と東海道新幹線と品鶴線(現・横須賀線)に挟まれる田園調布二丁目を田園調布本町、線路の南側の田園調布一丁目を田園調布南と変更した。
現在の大田区田園調布の大部分の地域が第一種低層住居専用地域と第二種風致地区[7]にあたり、日本有数の高級住宅街として有名である[8][9]。
地域「玉川田園調布」も参照
現在の大田区田園調布は一丁目?五丁目から成り、広さは約63万坪(約205万平方メートル)である[10]。
田園調布と表記のつく地域は、次の二つからなる。
田園都市株式会社が開発し分譲を行った田園調布駅周辺の地域
現在の二丁目の一部(田園調布駅の東側)、三丁目、四丁目の一部、及び玉川田園調布の一部からなる約30万坪(約100万平米)で[11]、その大田区の町内会が ⇒一般社団法人田園調布会となっている。