田亀源五郎
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たがめ げんごろう田亀 源五郎
2017年アングレーム国際漫画祭において。
別名義城戸呉八、鬼頭大吾(小説発表時の名義[1]
生誕 (1964-02-03) 1964年2月3日(60歳)
神奈川県鎌倉市
職業漫画家
ゲイ・エロティック・アーティスト
ジャンルゲイ漫画
代表作.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

嬲り者

銀の花

日本のゲイ・エロティック・アート

弟の夫

僕らの色彩

受賞文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞 (2015)、日本漫画家協会賞 (2018)、アイズナー賞最優秀アジア作品賞 (2018)
公式サイト ⇒tagame.org
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田亀 源五郎(たがめ げんごろう、1964年2月3日 - )は日本人の漫画家、ゲイ・エロティック・アーティスト(英語版)。SM性暴力、過剰な男性性を題材にしたゲイポルノ作品で知られており、日本のゲイ漫画家の中で有数の作品数と影響力を持つ。日本国外でもアーティストとして名高い。

在学中に少年愛雑誌やゲイ雑誌に漫画や小説を寄稿し始めた。多摩美術大学を卒業後、グラフィックデザイナーやアートディレクターとして働くかたわら漫画家として活動し、後に専業漫画家となった。1994年に単行本化された『嬲り者』はゲイ漫画の書籍として画期的な売り上げを記録した。1995年、ゲイ雑誌『G-men』の創刊に携わった。2014年の『弟の夫』を皮切りにLGBTを扱った一般向け漫画を描き始めた。同作は文化庁メディア芸術祭優秀賞、日本漫画家協会賞アイズナー賞を授与されている。美術史に関する著作『日本のゲイ・エロティック・アート』もある。
経歴
生い立ちと初期の活動

1964年2月3日、鎌倉市で武士の家系に生まれる[2][3][4][5]。兄が一人いる。文化的な家庭で、子供のころから文学・美術やクラシック音楽に親しんでいた一方[6]、ポップ・ミュージックや漫画は禁じられていた。ただし手塚治虫作品だけは文学的に優れているとして例外にされていた[5]。田亀は床屋の待合室などでそれ以外の少年漫画に触れ、楳図かずおのホラー漫画や、性や暴力を扱った永井豪作品を好んだ[5]。幼稚園の頃から絵を描き始め、小学校3年生で油絵を習い始めた[7]。中学になると漫画を制作してクラスメートや教師に見せるようになった[8]

小学生のときにはアラン・ドロンのファンだったころから「オカマ」というあだ名をつけられていた[7]。10代中ごろ、同性愛という意識がないまま、映画『ソドムの市』やマルキ・ド・サドの小説作品を入り口にしてBDSMに関心を持ち始めた[9]。「裸で縛られた男性」が出てくる映画(イタリアの『ヘラクレス』シリーズや、『猿の惑星』のチャールトン・ヘストンなど)に魅力を感じていた[10]。その後ゲイ雑誌さぶ』と出会い、存在すると思っていなかったものが存在したような気持ちというほど衝撃を受けた[11]。しばらく自身のセクシュアリティに悩んでいたが、高校生になって男性に恋愛感情を持ったことで同性愛者を自覚した[12]。田亀は当時日本に流入し始めた海外のゲイカルチャーを追うようになり、広くアートやポップカルチャーに傾倒していった[13]。高校在学中の1982年、女性向けの耽美系少年愛雑誌『小説JUNE』にペンネームで漫画を投稿して掲載された[5][8][注 1]。息子と父親の間の近親相姦と殺人を描く内容だった[15]。当時の青年漫画界で起きていた「三流エロ劇画ルネッサンス」と呼ばれる運動の中に同性愛を描く作家(宮西計三ひさうちみちお)がおり、その影響を受けて描いたものである[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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