田久保 忠衛
(たくぼ ただえ)
生誕 (1933-02-04) 1933年2月4日
日本・千葉県
死没 (2024-01-09) 2024年1月9日(90歳没)
日本・東京都三鷹市
国籍 日本
研究分野国際政治学
研究機関杏林大学
出身校早稲田大学(学士)
慶應義塾大学(博士)
主な受賞歴正論大賞(1996年)
正論大賞特別功労賞(2024年)
補足
日本会議第4代会長
プロジェクト:人物伝
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田久保 忠衛(たくぼ ただえ、1933年[1](昭和8年)2月4日 - 2024年(令和6年)1月9日[2])は、日本の外交評論家、政治学者、政治活動家。杏林大学客員教授[3]。専門は国際政治学、アメリカ外交。博士(法学)。
日本会議第4代会長(在任時に没す)[4]、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表[5]、国家基本問題研究所副理事長[6]、明治の日推進協議会会長[7]、富士社会教育センター理事[8]、新しい歴史教科書をつくる会理事[9]などを務めた。 千葉県生まれ、東京都立九段高等学校(現・千代田区立九段中等教育学校)卒業。 1956年、時事通信社入社[10][11]。1956年から1962年まで地方部記者(自治庁、大蔵省、農林省担当)。1963年までハンブルク特派員[10][11]。1969年、外信部記者。1970年、那覇支局長[10][11]。1973年、ワシントン支局長[10][11]。1974年、外信部次長。1980年、外信部長[10][11]。1980年、ウィルソン・センター研究員(兼任)。1984年、論説委員。1984年、退社し杏林大学社会科学部(現・総合政策学部)教授[10][11]。1992年、学部長[10][11]。2003年、大学院国際協力研究科客員教授[10][11]。 2024年1月9日、細菌性肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去[2][12]。90歳没。同年3月、正論大賞特別功労賞を追贈される。
略歴
学歴
1956年:早稲田大学法学部卒業[10][11]。
1994年3月:博士(法学)(慶應義塾大学、(学位論文「『チャイナ・カード』論の展開とその考察 -ニクソン対中外交を中心として」)
職歴
人物
時事通信社に在職時から著作活動を行う。アメリカ外交の専門家として知られ[誰によって?]、リチャード・ニクソン政権の研究で博士論文。論壇活動も長年行い、日米同盟保持の論客として知られ[誰によって?]、イラク戦争を巡っては反米保守の小林よしのりと対立した[13]。
民社党(現在の国民民主党の派閥の一つで「民社協会」)と関係が深く、昭和期には社会思想研究会に参加しその後も関係団体の政策研究フォーラムの理事や、「民社党と語る会」の幹事、民社人権会議代表幹事を務める。社会思想研究会の後輩には後に産経新聞社長となる住田良能や「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の理事となる弁護士の高池勝彦がいる。
1996年12月2日、藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのりらは「新しい歴史教科書をつくる会」の結成記者会見を開催。中学校社会科教科書からの従軍慰安婦の記述削除を求めた[14]。会見時の呼びかけ人は9人、賛同者は78人。田久保は賛同者に名を連ねた[注 1]。
2007年12月18日、櫻井よしこが中心となり、シンクタンク「国家基本問題研究所」が設立された[16][6]。「日本文明の叡知を現在に活かし、日本の大戦略を提言」することが目的として掲げられた[17]。田久保は同団体の副理事長に就任した[6]。