田中裕二_(お笑い芸人)
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COOL CHOICE LEADERS AWARD表彰式(2017年)
本名田中 裕二
ニックネームウーチャカ、ウーパン、田中裕二郎、小僧、たなもんた、タナチュー
生年月日 (1965-01-10) 1965年1月10日(59歳)
出身地 日本 東京都中野区
血液型B型
身長153.5 cm[1]
言語日本語
方言首都圏方言
関東方言
最終学歴日本大学芸術学部演劇学科中退
出身太田プロスカウト
コンビ名爆笑問題
トリオ名SMALL3(正式なトリオではない)
相方太田光
芸風漫才コント(ツッコミ)など
立ち位置左
事務所タイタン
活動時期1988年 -
同期月亭方正
さまぁ?ず
など
現在の代表番組秘密のケンミンSHOW 極
熱闘!Mリーグ
過去の代表番組サカスさん
S☆1
配偶者一般女性(2000年 - 2009年)
山口もえ(2015年 - )
受賞歴
2006年 芸術選奨文部科学大臣賞(爆笑問題として)
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田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年〈昭和40年〉1月10日 - )は、日本お笑いタレント司会者随筆家俳優声優歌手アイドル。芸能事務所「タイタン」所属。お笑いコンビ・爆笑問題のツッコミ、リーダー担当。相方は太田光。妻はタレントの山口もえ
略歴

東京都中野区鷺宮に生誕[2]。35歳で最初の結婚をするまでずっと同じ家に居住していた[2]

幼少期はプロ野球選手に憧れながらも、「田中もず」のマイクネームDJとしてラジオで活躍することも夢見ていた。鷺宮学園幼稚園、中野区立若宮小学校中野区立第八中学校を経て東京都立井草高等学校に進学。高校時代は太田と対照的に人気者で、パーソナリティ「ウーチャカ」として校内ラジオ放送で「ウーチャカ大放送」を放送した[3][注 1][注 2]。この頃から生島ヒロシに憧れ、アナウンサーを目指していた時期がある[4]。学生時代には文化放送ミスDJリクエストパレード』のADTBSラジオラジオカー「954カー」関係などのアルバイトをしていた[5]。他クラスの生徒によるアンケートで「ミスター井草」にも選出されたこともあった[6][注 3]

早稲田大学のアナウンス研究会が憧れで早稲田大学教育学部にも出願したが、受験日を1日間違えた。その失敗の教訓を得てか一浪を決意し、難関の駿台予備学校新宿校午前部(東大一橋、早稲田、慶應を目指すコース)に合格し浪人生活を送る[2]明治大学立教大学には不合格だったが、日本大学芸術学部演劇学科に合格し(第一志望は放送学科だったが不合格[7]。このとき、実技試験に野球のユニフォームを着て臨んだが、本人は大学に落ちたものだとばかり思っていたと告白[2])、太田と出会う。日芸時代でも田中本人が「ウーチャカ」と呼んでくれるよう周囲に頼んでいたが、「小僧(先輩)」とも呼ばれていた[注 4]

日芸在籍時にはマキノ雅弘が主催していた私塾にも通っていた[7]。同時期には、大学の先輩とアマチュアコンビ「東京ギャグポンプ」を組み、TBSの「おじゃまします」に出演したことがあるが、売れずに2か月弱で解散。当時の芸名は「白木屋みのる」(背が小さいことから白木みのると居酒屋の白木屋をもじってつけられた)で、ボケ担当。コンビ名・芸名を考案したのははらみつお。当時の相方は編集者(2006年時点)をしている。

1988年3月に、太田と漫才コンビ「爆笑問題」を結成。コンビではリーダーだが、田中が自ら立候補したのではなく、太田が決めたものである。

2000年正月放映の『号外!!爆笑大問題』(日本テレビ系)で、田中が所属事務所が入居しているビルの1階の花屋に勤務する9歳年下の女性の自宅を訪れ、両親にあいさつしたと太田がバラし、メディアが一斉に扱った[注 5]。同年3月24日にその女性と結婚。その後、二世帯住宅を建てた。

2000年9月12日精巣腫瘍により都内の病院に入院。10月9日に左側の睾丸摘出手術を受けた。ちなみに摘出した睾丸を病理診断・研究したのは向井千秋の夫である向井万起男慶應義塾大学病理専門医)だったとのこと(太田の後日談より)。これ以降、太田からは執拗に「片玉」と弄られており、漫才にもお約束的に片玉ネタが加えられている。良性腫瘍と公表していたが、本当は悪性腫瘍であり、放射線治療、転移検査、定期的な血液検査の末、術後から5年かけて完治した[9]

2009年10月2日、自らの離婚を発表。その後、前妻が臨月に入っていることが報じられた[10]。前妻と田中の間で田中の実子ではないことは合意していたが、離婚成立後300日以内に出産することになるため民法の規定により田中が戸籍上の父親になり[注 6]、後に家庭裁判所で父子関係を解消する手続きをとった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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