田中穂積_(法学博士)
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田中穂積

田中 穂積(たなか ほづみ、1876年明治9年)2月17日 - 1944年昭和19年)8月22日[1])は、長野県出身の財政学者法学博士早稲田大学第4代総長。
略歴

1876年、長野県更級郡石川村(現・長野市)の豪農の家に生まれる。旧制長野県尋常中学校(現・長野県松本深志高等学校)在学中は、病のため療養生活を送った。その間、当時東京専門学校出版局(現・早稲田大学出版部)から発行されていた講義録雑誌で勉強した。1895年、編入試験を受けて東京専門学校(現・早稲田大学)に入学。1896年、同校政治科を卒業。東京日日新聞の記者になる。1901年コロンビア大学に留学し、1902年、マスター・オヴ・アーツの学位を取得した。

1904年、早稲田大学講師となる。1907年、教授となり、財政学や経済学等を講義。1910年、法学博士の学位を取得した。1915年、早大理事、1920年商学部長1924年、常任理事を歴任。1931年から1944年まで早大第4代総長を務めた。総長在任中の功績として、木造から鉄筋コンクリート造りへの校舎の改築を推進したこと、女子学生の学部入学を認めたこと(1939年)などが挙げられる。

1939年(昭和14年)1月4日、貴族院議員に勅選され[2]無所属倶楽部に所属し死去するまで在任した[1][3]。1944年、肺壊疽のため入院先の帝大病院坂口内科にて死去。68歳。葬儀は8月28日、早稲田大学葬として大隈記念講堂で行われた[4]
著作

『財政学』明法堂、1898年5月。
NDLJP:799789。 

『財政学』(再版)明法堂、1900年3月。NDLJP:2938209。 


『対韓私議』明法堂、1899年7月。NDLJP:785592。 

『高等租税原論』早稲田大学出版部〈早稲田叢書〉、1903年5月。NDLJP:799717。 

『公債論』明法堂、1904年3月。NDLJP:799714。 

『高等租税各論』早稲田大学出版部〈早稲田叢書〉、1906年5月。NDLJP:799716。 

『税制整理論』隆文館〈最近経済問題 第3巻〉、1910年2月。NDLJP:799930。 

『財務論』宝文館〈経済全書 第5巻 第7編〉、1911年6月。NDLJP:799230。 

『生活問題と農村問題』実業之日本社、1913年7月。NDLJP:936821。 

『静思健闘』広文堂書店、1914年8月。NDLJP:951461。 

『公債要論』東京宝文館、1916年11月。NDLJP:956684 NDLJP:1078990 NDLJP:2391077。 

『国民経済概論』早稲田大学出版部、1917年9月。NDLJP:956720。 

『国民経済概論』(訂正増補5版)早稲田大学出版部、1924年10月。NDLJP:956721。 

『国民経済概論』(改訂新版)早稲田大学出版部、1931年10月。NDLJP:1279367。 


『非常時局に直面して』早稲田大学、1938年10月。NDLJP:1268387。 

『田中穂積 伝記・文集』田中穂積先生伝記刊行会、1948年12月。NDLJP:11034454。 

栄典

勲三等瑞宝章(1940年)

演じた俳優

藤田まこと[注釈 1] ? 『ラストゲーム 最後の早慶戦』(映画) 2008年、シネカノン

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 藤田にとっては、映画での遺作となった。

出典^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』135頁。
^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。


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