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田中 稔
2022.11.23 撮影
プロフィール
リングネーム田中 稔
稔
ヒート
田中 みのる
本名田中 稔
ニックネームThe Special One
腕十字職人
ブラック・プリンス
身長175cm
体重85kg
誕生日 (1972-11-29) 1972年11月29日(51歳)
出身地愛知県小牧市
所属GLEAT
スポーツ歴シュートボクシング
器械体操
トレーナー藤原喜明
デビュー1994年1月24日
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田中 稔(たなか みのる、1972年11月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。妻は元女子プロレスラーの府川唯未、長女の田中きずなもプロレスラー。愛知県小牧市出身。血液型O型。 器械体操とシュートボクシングを経験後、1993年にプロフェッショナルレスリング藤原組に入門。 1994年1月にマーク・アシュフォード戦でデビューし、同年2月にはリングスに参戦。 1995年に格闘探偵団バトラーツの設立に参加し所属する。1999年4月の新日本プロレス東京ドーム大会に参戦、同年のBEST OF THE SUPER Jr.にも出場する。 2000年6月に金本浩二とジュニア・スターズを結成しIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年10月にバトラーツを退団、高岩竜一のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し勝利する。第39代IWGPジュニアヘビー級王座初戴冠となった。 2001年1月に正式に新日本プロレス所属となった。同年6月のBEST OF THE SUPER Jr. VIIIで準優勝に輝く。 2002年1月18日、記者会見で府川唯未との婚約を発表[1]。同年6月8日に挙式および結婚披露宴を行った[2]。覆面レスラー「ヒート」 2002年2月、垣原賢人を下しIWGPジュニアヘビー級王座に返り咲く。同年5月、獣神サンダー・ライガーをパートナーに邪道・外道組を下しIWGPジュニアタッグ王座を獲得する。その後、ゲームボーイアドバンス用ソフト『闘魂ヒート』(パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン)のゲームキャラクターから出た覆面レスラー「ヒート」に転身、同年10月に再デビューするも不甲斐ない試合が続いたためか当時タッグパートナーだったライガーにも批判されてしまい、とうとう敵対関係となった。 2004年、マスクを脱ぎ、素顔に戻った。この頃から田中もライガーにヒール集団のC.T.Uに勧誘され、最初は難色を示していた田中だったが最終的にC.T.Uの一員となった。 2004年12月、井上亘の挑戦を退け同タイトル最多連続防衛記録11回を記録する。覆面レスラー時代を含めて1年に及ぶ長期政権だった。 2005年1月、タイガーマスクに敗れIWGPジュニアヘビー級王座から陥落した。同年4月リングネームを「稔」に改名する。のち、ヘビー級挑戦を視野に入れる。 2006年6月、BEST OF THE SUPER Jr. XIIIにおいて初日敗戦もAブロック2位通過。決勝トーナメントでは井上(HEATクラッチ)、タイガー(ミノルスペシャル)と撃破し、7回目の出場にして悲願の初優勝を飾った。同年12月24日、後楽園ホールにて金本とタイトル戦を行い勝利し、第51代IWGPジュニアヘビー級王座に返り咲いた。 2007年2月、井上を破りIWGPジュニアヘビー級を初防衛。 2007年3月、エル・テハノ・ジュニアを破り2度目の防衛成功。 2007年4月、田口隆祐を破り3度目の防衛成功とともにサムライジムの看板を奪う。 2007年5月、裕次郎を破り4度目の防衛に成功。 2007年7月、田口に敗れ5度目の防衛に失敗。サムライジムの看板も元の場所に戻された。 2007年8月、C.T.Uの解散とともに中邑真輔らと共闘を宣言。後にRISEとなった。 2007年11月、プリンス・デヴィットと組み、TNAのクリストファー・ダニエルズ&センシに挑むが敗れる。翌年1月、今度はミラノコレクションA.T.も引き連れ、クリスチャン・ケイジ&AJスタイルズ&ピーティー・ウィリアムズと戦うが敗れる。
来歴
プロフェッショナルレスリング藤原組
格闘探偵団バトラーツ
新日本プロレス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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