田中真弓
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この項目では、声優について説明しています。

映画の登場人物については「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式#主要人物」をご覧ください。

本名が田中真弓の講談師については「松林伯知 (3代目)」をご覧ください。

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たなか まゆみ
田中 真弓
プロフィール
本名阿部 真弓
(あべ まゆみ)[1](旧姓:田中[2]
愛称真弓さん[3]
性別女性
出生地 日本東京都渋谷区[2][4]代々木上原[5]
出身地 日本・東京都杉並区浜田山[6]
生年月日 (1955-01-15) 1955年1月15日(69歳)
血液型A型[7]
職業声優女優ナレーター[8]
事務所青二プロダクション[9]
配偶者あり
著名な家族柴本浩行(夫)
こ?すけ(息子)[10]
公称サイズ(時期不明)[12]
身長 / 体重150[11] cm / 42 kg
靴のサイズ22.5[11] cm

声優活動
活動期間1978年[13] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーションラジオ
デビュー作高木涼子
(『激走!ルーベンカイザー』)[14][15]
女優活動
活動期間1978年 -
ジャンルテレビドラマ映画舞台
デビュー作『Gメン'75
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

田中 真弓(たなか まゆみ、1955年昭和30年〉1月15日[1][2][7] - )は、日本声優女優ナレーター[8]日本芸術専門学校特別講師。本名:阿部 真弓(あべ まゆみ)。東京都渋谷区代々木上原杉並区浜田山出身[2][4][5][6]青二プロダクション所属[9]
来歴
生い立ち

東京都渋谷区代々木上原に誕生する[4][5]。父が新聞記者だったことから、転勤で2歳ごろに大阪府へ移住[2][6]。後に東京へと戻り、杉並区浜田山で育つ[6]東京都立杉並高等学校[6]青山学院女子短期大学卒業[9]

幼少期から目立ちたがりで[16]、歌うのが好きであり、将来は歌手を志望していた[15]。学生時代には演劇にも打ち込み、学芸祭のクラス公演などで演劇を行っていたのをきっかけとして、舞台女優として身を立てる決意を固める。小学校には演劇クラブはなかったが、学芸会の花形であり、田中自身が演目を積極的に提案していた[5]。また小学校時代には「自分には才能があるし、役者は天職だ」と作文にも記したという[2]

中学、高校、短期大学時代は演劇部に所属していた[5][6]。当時は娘役が他に多数いたことから、お婆さんと少年役が多かった[17]。中学時代は俳優座が好きであり、卒業後は桐朋学園芸術短期大学演劇科を志望していた[2][6]。同芸術短期大学演劇科は中学、高校、短期大学時代と受験したが、いずれも不合格だった[3]

女優としての活動の場を求めて、文学座青年座などに応募するも全て不合格だった[6]。落選の理由として「あなたは背が低いし、小顔で、全てが小作りで舞台栄えしない。妖精や子供など、役柄が限られてしまうから」と告げられ、当時は非常に落ち込んだと述懐している[18]竹内演劇研究所の一期生募集のオーディションも受けたが、田中以外の全員が合格するという結果となった[5]。入学金を支払えば入れるという、客状態でも活動できるといった形態の養成所だったが、田中だけが落選したという[3]。このことで、当時はもう人間やめろと告げられたように感じ、深く落胆したという[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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