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環境省エコジン・インタビュー(2023年)
ニックネーム我が田中、クジラ科、タナーカー
生年月日 (1971-04-26) 1971年4月26日(53歳)
出身地 日本 大阪府豊中市
血液型O型
身長181 cm
言語日本語
方言共通語、関西弁
最終学歴大阪府立桜塚高等学校卒業
大阪デザイナー専門学校中退
出身吉本バッタモンクラブ・オーディション
コンビ名ココリコ
相方遠藤章造
芸風漫才(ボケ)
立ち位置右(たまに左)
事務所吉本興業
活動時期1992年 -
同期藤井隆
メッセンジャー
水玉れっぷう隊
シェイクダウン
ジャリズム
現在の代表番組緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦
アカデミーナイトG
アイ・アム・冒険少年
過去の代表番組情報番組
ZIP!
バラエティ番組
チェック!ザ・No.1
POP屋
ランキンの楽園
テレビドラマ
明日があるさ
ガッコの先生
砂の塔?知りすぎた隣人
鎌倉殿の13人
ブラッシュアップライフ
映画
みんなのいえ
作品ガッコの先生
配偶者小日向しえ(2003年 - 2017年)
公式サイトプロフィール
受賞歴
第25回日本アカデミー賞新人俳優賞・話題賞
第29回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 新人俳優賞
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田中 直樹(たなか なおき、1971年〈昭和46年〉4月26日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優。お笑いコンビ・ココリコのリーダーでボケ担当。相方は遠藤章造。大阪府豊中市庄内出身。吉本興業所属。 豊中市立豊島小学校、豊中市立第四中学校卒業。小学生の頃から野球を始め、中学では後に相方となる遠藤と同じ準硬式野球部に所属し、副主将を務めた。ポジションはキャッチャー。 その後、大阪府立桜塚高等学校に入学し、ハンドボール部に所属。高校卒業後は大阪デザイナー専門学校に進学。在学中に、サラリーマンを退職し覚悟を決めた遠藤に誘われオーディションへ。結果は合格し、「ココリコボンバーズ」を結成(その際、専門学校を中退)。大阪出身だが、吉本興業東京本社からデビューした。 元妻は小日向しえ。2003年6月に結婚、2017年5月2日に所属事務所を通じて離婚を発表、2人の男児の親権は田中が持つ[1]。 役者としても活動しており、『世にも奇妙な物語』(フジテレビ)1999年秋の特別編の一編である「逆男」にてドラマ初主演を果たしているほか、三谷幸喜監督の2001年公開映画『みんなのいえ』出演、2005年公開映画『逆境ナイン』の高校野球の監督役、2006年公開映画『サイレン ?FORBIDDEN SIREN?』の島の医者役など幅広い役柄を演じている。 2008年公開の映画『チーム・バチスタの栄光』では麻酔医役を務めた。 2008年12月、世界のナベアツ(渡辺鐘)がプロデュースのお笑い芸人竹馬アイドルユニット『紫SHIKIBU』に加入、2009年2月11日にCDデビューを果たす。 2009年10月17日、本公開の映画『ファイナル・デッドサーキット』では吹き替えで主演を務める。 2016年から、朝の情報番組『ZIP!』の司会を4年半務めていた。ドラマ『砂の塔?知りすぎた隣人』で、主人公の夫役を演じた。 2018年6月24日に海洋管理協議会のアンバサダーに就任[2]。 2022年3月1日に大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』への出演が発表され、大河デビュー。
経歴
お笑いデビューまで
ココリコ以外での活動
人物
長身痩躯な体型としゃくれた顎が特徴。髪の毛は徐々に薄毛になりつつある。また、かなり体毛が濃いとのこと。特に腕の毛の濃さを指摘されることが多く、食べ物系の企画があると「その毛が不潔」「毛のせいで食欲を無くす」などとガキの使いメンバー(特に松本)から指摘されることが多くなっている。
好きなウィンナーは「シャウエッセン」と公言している。
趣味は北京語、動物、天体、NBA、映画観賞。
ダイビングライセンスを持つ[3]。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のレギュラーメンバーの中では、月亭方正と仲が良い。2人がまだ貧乏だった若手時代、方正がゲームを売って得た60円で1つのコロッケを分け合った。方正は無言で小さい方のコロッケを手にし、大きい方を田中に食べさせてくれたという[4]。