田中理恵_(声優)
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たなか りえ
田中 理恵
プロフィール
本名田中 理恵[1]
愛称りえりえ
性別女性
出身地 日本北海道札幌市南区[2]
生年月日 (1979-01-03) 1979年1月3日(45歳)
血液型B型[3]
職業声優歌手
事務所オフィスアネモネ[3]
配偶者山寺宏一
(2012年 - 2018年)
公式サイト田中理恵|オフィスアネモネ
公称サイズ(時期不明)[4]
身長 / 体重162 cm / ― kg
スリーサイズ80 - 57 - 83 cm

声優活動
活動期間1997年 -
ジャンルアニメゲームラジオ
デビュー作少女(『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 維新志士への鎮魂歌』)[5][6]
※テレビアニメ・デビュー作:
秋子(『どっきりドクター』)
音楽活動
活動期間1998年 -
ジャンルJ-POPアニメソングキャラクターソング
職種歌手
レーベル

SME・ビジュアルワークス

ビクターエンタテインメント

RIGHTS

WAVE MASTER HAPPIES

声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

田中 理恵(たなか りえ、1979年1月3日[4][7] - )は、日本女性声優歌手北海道札幌市南区出身[2]オフィスアネモネ所属[3]
来歴
生い立ち

小学校時代、学校から帰ってくると玄関にランドセルをそのままポイと置いて外に遊びに行くような、男子のような子供だった[8]。親には「野生児」と言われていたという[8]

小学生の時、図書委員会に所属していた。人に読み聞かせをするのが好きで、担任の先生が教室にやってくる前の朝の時間に、低学年の児童を相手に紙芝居を行っていた。また図書委員の活動の1つで視聴覚室を使用して紙芝居大会が行われた際、彼女の紙芝居をみた児童が喜び、先生に褒められて非常に嬉しかったことが声優を志す遠因となった[9]

を描くことも好きで、デッサン教室にも通っていた[8]。習い事は他にも英会話教室、水泳もしており、全部、自分が好きで「やりたい」と言って始めたものばかりであった[8]。英会話は少し母の意向が強かったという[8]。中学時代は美術部に所属して油絵を描いていた[8]

中学に進学後、あまり外で遊ばなくなり、その頃からゲームが好きになったという[8]。ちょうどいのまたむつみの絵が好きで、本屋でいのまたがジャケットイラストを担当したドラマCD『CDシアター ドラゴンクエスト』を購入して聴いたこと、学生時代に元々芝居も好きであり、演劇部にも所属していたことが声優を志す直接的なきっかけとなった[5][8]。当時高校2年生の時に放送されていた人気アニメーションを色々見て職業としての声優に憧れを持つ[6]。進路を決めなくてはいけない時期でもあったため職業としての声優について色々調べ始めていたという[6]

高校時代に漫画研究部に所属してまんが甲子園に出場したことがあったが[8]、その場で審査員だった同郷の島本和彦に「声優になりたい」と直訴したという[10]。部活はかけもちがOKだったため、軽音楽部にも所属していた[8]。その頃は「表現すること」に関して、やりたいことがいっぱいあり、学園祭でバンドを組み、リンドバーグのコピーなんかを演奏していた[8]。バンドではヴォーカルであり、ドラム、ギター、ベースまで全部、女の子だけのバンドで楽しかったという[8]。しかし、楽器演奏には興味が持てず、母はピアノを習わせたかったようであったという[8]。高校時代、専門学校のアフレコ体験入学に何回か行き、演技を初めて経験[8]代々木アニメーション学院札幌校であったが、そこで感じていたことは「演技は30分や1時間で学べるようなものではない」ということであった[8]。その時に台詞ひとつ言うだけでも画にアテルのが精一杯であったという[8]。担任の教師に進路を聞かれて、「声優になりたいんです」と答えていたが、当時は職業としての声優が世間的に認知されていなかったこともあり、教師には「スーパーマーケット西友に勤めるのでしょうか?」と言われてしまったという[6]。声優になる前に、両親は、「その職業に就いて、ちゃんとお金を稼いでいけるか?」と声優の道に進むことに猛反対しており、それまで家系で芸能関係に進んだ人物はおらず、高校卒業後は地元の大学に進学するものと親は信じていたことから、勘当寸前の状態だったという[8][6]。それで、「専門学校の授業料も自分で稼がないといけないなあ」と思い、玩具店で商品ラッピングのアルバイトをしていた[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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