田中 早苗(たなか さなえ、1884年(明治17年) - 1945年(昭和20年)5月25日)は日本の翻訳家。男性。本名は田中 豊松(たなか とよまつ)[1]で、この名義での著訳書もある。
英語とフランス語を解し、博文館の雑誌『新青年』などで、モーリス・ルヴェル(フランス語版、英語版)、ウィルキー・コリンズ、エミール・ガボリオ、ガストン・ルルーなどの作品の翻訳紹介につとめた。 1907年(明治40年)、早稲田大学高等師範部英語科卒業[2]。 雑誌『海外之日本』(海外之日本社)記者、雑誌『太陽』(博文館)嘱託記者を歴任した[2]。 1937年(昭和12年)4月より東京市赤坂区史編纂事務嘱託として『赤坂区史』の編纂に従事する[3][2]。 1945年(昭和20年)5月25日、疎開先の奈良県で病死[4]。 『新青年』には早い時期から翻訳者として参加し、「文学味の強い異常小説」[5]を好んで翻訳、江戸川乱歩などに影響を与えた。特に、フランスの作家モーリス・ルヴェル
経歴
業績
イギリスの作家では、ステイシー・オーモニア(英語版)やアーサー・マッケンなどの異色作家を偏愛した。ただし、マッケンの翻訳は行っていない。乱歩によれば「その作品が非常に特殊なもので、大衆性があるかどうか疑問だった」[5]ためだという。一方で、本格探偵小説にはほとんど関心を示さなかった[10]。 『新青年』編集長・森下雨村邸に集まってブリッジにいそしんでいたグループの一員であり、また森下とは碁敵同士でもあった。森下の帰郷後は乱歩とも交流を深めた。乱歩は「世事にうとく、流行に反逆し、古風を守って譲らず、金銭的には損ばかりしている人であった」と評している[5]。
人物
著作
編著(田中豊松名義)
『ペスタロッチ言行録』内外出版協会〈偉人研究 第23編〉、1908年3月。NDLJP:782447
『シーザー言行録』内外出版協会〈偉人研究 第46編〉、1908年10月。NDLJP:782258。
『エヂソン言行録』内外出版協会〈偉人研究 第52編〉、1908年11月。NDLJP:782254。
翻訳
ロバート・ルイス・ステヴンソン『漂泊の青年』白水社〈近代世界快著叢書 第8編〉、1919年1月。
ウイリアム・ウイルキイ・コリンス『白衣の女』 闇闘の巻、白水社、1921年7月。NDLJP:968362。
ウイリアム・ウイルキイ・コリンス『白衣の女』 下巻 運命の巻、白水社、1921年11月。NDLJP:968363。