たなか あつこ
田中 敦子
プロフィール
本名佐藤 敦子[1]
(旧姓:田中[2])
愛称あっちゃん[3]
あつを[3]
少佐[3]
性別女性
出身地 日本・群馬県前橋市[4]
生年月日 (1962-11-14) 1962年11月14日(61歳)
血液型O型[5]
職業声優、ナレーター[6]
事務所マウスプロモーション[7]
配偶者あり
公式サイト田中 敦子|所属タレント|マウスプロモーション
公称サイズ(時期不明)[5]
身長 / 体重164 cm / 47 kg
活動
活動期間1980年代 -
デビュー作ニュースリポーター(『ENG』)[要出典]
声優:テンプレート | プロジェクト | カテゴリ
田中 敦子(たなか あつこ、1962年11月14日[5][8] - )は、日本の女性声優、ナレーター[6]。群馬県前橋市出身[4]。マウスプロモーション所属[7]。 前橋市立南橘中学校、群馬県立前橋女子高等学校、フェリス女学院大学文学部国文学科卒業[9][10]。 テレビで舞台の中継を見て、芝居に興味を持つ[11]。子供の頃は友達がいたが、内気なところがあり、舞台の別世界に没入できる感覚に憧れていたと語る[11]。 口の達者な女子達と会話したり、口喧嘩になると、言葉に詰まり言いたい言葉が言えなくなったことがあり、「別の自分になれたら、思っていることが表現できるかな……」という思いで、中学時代に部活を選ぶ時に「演劇を実際に自分でもやってみたい」と思うようになったと語る[11]。中学校在学中より演劇とダンス活動を交互に行ない、大学卒業後は「演劇や踊りはそろそろ卒業してもいいのかな?」と思い、父の薦められた企業でOLとして6年ほど勤務[11][12]。転職を決意した理由は、一生続けていく仕事に就こうと「一生仕事を続けていけるモチベーションって、なんだろう?」と考えていたところ「好きなことを続けていくのが一番じゃないか」と考えるに至り、それが芝居とダンスだったからである[11]。 その間もダンスのレッスンを受け、所属した舞踏団で月に1度のペースでステージ活動を行なっていた。ダンスのほうは会社員時代に本格的に舞台に立ち、やりきった気持ちがあったが、芝居の方は勉強したいこともあり、「芝居を仕事にしよう」と考えていたが、「20代の真ん中を過ぎてから劇団に所属しようとするのは、少し遅いのかな? 」とも思っていた[11]。舞台人を目指していた人物たちの多くは、高校卒業後、専門学校、劇団の養成所、芸術関係の大学などで学んでおり、そういう人物達との溝をどうやって埋めたらいいのか模索していた[11]。その時に偶々ダンサー仲間に当時、同じ群馬県出身で野沢那智主宰の劇団薔薇座に所属し声の仕事をしていた人物がおり、声の仕事と聞いて吹き替えの仕事にひらめきを感じていた[11][13]。
来歴
デビュー前