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出典検索?: "田中広太郎" 内務官僚
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田中広太郎
田中 広太郎(たなか こうたろう、1888年11月4日 - 1968年1月17日[要出典])は、日本の内務官僚。府県知事。 奈良県出身。農業・田中楳太郎の長男として生まれる。京華中学、第一高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。内務省に入り東京府属となり、内務部土木課に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1915年10月、福岡県理事官・内務部庶務課長に就任。以後、内務省地方局事務官、内務書記官・地方局町村課長などを歴任。1923年3月から1924年4月まで欧米に出張。1924年7月、地方局都市課長となる。さらに、地方局財務課長、復興局整地部長などを務めた。 1929年5月、東京市助役となり、翌年5月まで在任。1931年12月、静岡県知事に就任。以後、長崎県、愛知県、大阪府の各知事を歴任した。 1947年3月に大阪府知事を退任し、その後、地方自治連盟理事長、財団法人奉仕会会長、日本財政学会顧問、関東屋外広告連盟顧問、松下電器産業顧問などを歴任。その他、京都大学、九州大学、明治大学、日本大学、大阪商科大学、駒澤大学の各講師を務めている。 1968年1月17日死去。享年79。
経歴
栄典
1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[1]
1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章[2]
1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
親族
義父 元田肇
三男 田中芳秋(商工省官吏)
著作等
『地方税戸数割』良書普及会、1922年。
『地方税制講話』良書普及会、1926年。
『最新地方財政要綱』良書普及会、1928年。
『地方財政』日本評論社、1930年。
内政史研究会『田中広太郎氏談話速記録』第1回・第2回・第3回(『内政史研究資料』第5・9・13集)、1963-64年。
『現代史を語る(7)――内政史研究会談話速記録』(伊藤隆監修、内政史研究会編、現代史料出版、2012年)。他は堀切善次郎