田中冬二
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田中 冬二(たなか ふゆじ、1894年明治27年)10月13日 - 1980年昭和55年)4月9日)は、日本詩人である。本名は吉之助。

銀行員として働きつつ、郷愁をテーマに多くの詩作を行う。専ら旅を題材とした詩を作り、山国や北国の自然、日常生活を初々しい感覚で表現した叙情詩集「青い夜道」(昭和4年)を発刊。多作ではなくマイナーポエットとも評されるが、一貫して日本の自然や生活に根ざした詩を作り続け、吉行淳之介は象徴的に「青い夜道の詩人」と評している。詩作のほか散文俳句も手がけている。堀口大學らと交友関係があった。
略歴叔父の安田善助 明治商業銀行頭取

銀行員だった父吉次郎と、母やゑの長男として福島県福島市栄町に生まれた。1901年(明治34年)に父が、1906年(明治39年)には母が相次いで亡くなったため、上京して叔父・安田善助のもとで養育される[1]。両国小学校、東華尋常小学校を経て、1908年(明治41年)に立教中学へ入学。この頃から文学に興味を持ち、友人と回覧雑誌を作り、吉江喬松の詩『高原』に影響を受けたという。また、投稿文芸雑誌『文章世界』や歌誌『アララギ』へも投稿。1912年(明治45年)に『文章世界』へ投稿した短文が特選(田山花袋選)となり、この時にはじめて「田中冬二」のペンネームを使用している。

1913年(大正2年)に中学を卒業すると、第三銀行(安田銀行、現みずほ銀行)へ就職。就職後も投稿活動を続け、1922年(大正11年)に詩誌『詩聖』へ投稿した作品が編集長長谷川巳之吉に評価される。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では被災している。1925年(大正14年)に結婚。1929年(昭和4年)には第一詩集『青い夜道』を刊行する。

1939年(昭和14年)には長野支店長として長野県長野市妻科へ転勤。信州の土地柄を愛し、上諏訪支店長時代と合わせて「最も快適な時代」と語り、多くの詩作をしている。

戦後は1946年(昭和21年)、転勤に伴い上京。東京都南多摩郡日野町豊田(現在・日野市)に居を構える。当時日野に住んでた伊藤整や、相模原にいた八幡城太郎らと交流している。伊藤整とは『椎の木』や『セルバン』を通じて戦前から交流があったと推定されている。

1949年(昭和24年)には銀行を定年退職し、新太陽社の専務取締役となる。1971年、日本現代詩人会会長に就任。紫綬褒章受章。1980年に死去。85歳。
著作

青い夜道 詩集 第一書房 1929

海の見える石段 今日の詩人叢書第5 詩集 第一書房 1930

山鴫 詩集 第一書房、1935

花冷え 詩集 昭森社、1936

故園の歌 詩集 アオイ書房 1940

橡の黄葉 詩集 臼井書房 1943

菽麦集 新詩叢書 詩集 湯川弘文社 1944

行人 句集 ちまた書房 1946

山の祭 詩集 笛発行所 1947

春愁 詩集 岩谷書店 1947

山国詩抄 詩集 青園荘 1947

三国峠の大?燭を偸まうとする 散文集 岩谷書店 1947

高原と峠をゆく 随筆集 中央公論社 1955

晩春の日に 詩集 昭森社 1961

牡丹の寺 詩集 青園荘 1964

麦ほこり 句集 大雅洞 1964

葡萄の女 詩集 昭森社 1966

青い夜道 稀覯詩集複刻叢書 詩集 名著刊行会 1970

つつじの花 詩集 鶏肋書屋 1970

失われた簪 詩集 中央公論社 1972

サングラスの蕪村 詩集 中央公論社 1976

織女 詩集 潮流社 1978

八十八夜 詩集 しなの豆本の会 1979

田中冬二全集全3巻 筑摩書房 1984-1985

脚注^ 母方の叔父で安田銀行創始者・安田善次郎の甥の安田善助。母やゑの母つねが善次郎の実妹。父吉次郎は黒部市生地の出身で善次郎と同郷。

参考文献

『田中冬二展 青い夜道の詩人』
山梨県立文学館、1995年。

関連項目

生地温泉

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