田の神
[Wikipedia|▼Menu]
水稲

田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきたである[1]。作神、農神、百姓神、野神と呼ばれることもある[1][2]

穀霊神・水神守護神の諸神の性格も併せもつが、とくに山の神信仰や祖霊信仰との深い関連で知られる農耕神である[1]
農耕神をまつる習俗

古代より日本では農耕神をまつる習俗のあったことが知られており、8世紀成立の『日本書紀』や『古事記』にも稲霊(いなだま)すなわち「倉稲魂」(うかのみたま)、「豊受媛神」(とようけびめのかみ)、穀霊神の大歳神(おおとしのかみ)の名が記載されている[1]

このうち、豊受媛神は10世紀初頭成立の『延喜式』「大殿祭祝詞」に、稲霊であり、俗にウカノミタマ(宇賀能美多麻)と称する[注釈 1]という註があり、このことについて柳田國男は、稲の霊を祭った巫女が神と融合して祭られるようになり、それゆえ農神は女神と考えられるようになったのではないかとしている[3]

民間では、こうした農耕神を一般に田の神と呼称してきたが、東北地方では「農神」(のうがみ)、甲信地方山梨県長野県)では「作神」(さくがみ)、近畿地方では「作り神」、但馬兵庫県)や因幡鳥取県)では「亥(い)の神」、中国四国地方では「サンバイ(様)」また瀬戸内海沿岸では「地神」などとも別称されてきた[1][2][4]。また、起源の異なる他の信仰と結びついて、東日本ではえびす西日本では大黒をそれぞれ田の神と考える地域が多く、さらに土地の神(地神)や稲荷神と同一視されることもあり、その一方で漁業神や福徳神とは明確に区別される神である[1]
山の神信仰や他神との結びつき
春秋去来の伝承

山の神信仰は、古くより、狩猟焼畑耕作、炭焼(木材の伐採)や木挽(製材)、木地師(木器製作)、鉱山関係者など、おもに山で暮らす人々によって、それぞれの生業に応じた独特の信仰や宗教的な行為が形成され伝承されてきた[5]

いっぽう、稲作農耕民の間には山の神が春の稲作開始時期になると家や里へ下って田の神となり、田仕事にたずさわる農民の作業を見守り、稲作の順調な推移を助けて豊作をもたらすとする信仰があった[3][4][5]。これを、田の神・山の神の春秋去来の伝承といい、全国各地に広くみられる[3]。ただし、去来する神が山の神や田の神として明確に特定されないケースも多い[3][注釈 2]。このように一つの神が季節のうつろいとともに所在を変え、神格を融通する信仰はめずらしい[4]

たとえば、新潟県村上市中継(旧、山北町)の民俗事例では、3月16日に田の神が天竺(インド)よりやって来て家に降りるとされる[6]。つづいて4月16日には家から田へと出て行き、10月16日には再度家に戻るといわれ、これらの日にはぼた餅をえびす(恵比寿)に供えて送り出し、出迎えの儀礼をおこない、11月16日には田の神は再び天竺に還るとされた[6]。すなわち、田の神は、一年かけて天竺・家・田を循環するわけであり、この動きは、ほぼ一年の稲作過程と重なり合うのである[6]

このように、去来伝承には田の神が家を媒介として去来するという伝承も多く、それには、
田から家へ帰る

家から田へ出て行く

山から家へ降りてくる

家から山へ帰る

家と田とを去来する

去来せず留守神となる

などのパターンがあり、上述の村上市の事例のように、去来する先として天竺などの異空間が加わることがある[6]

奥能登石川県)に今日まで伝わる民俗行事「アエノコト」(国の重要無形民俗文化財)も、秋の収穫後(12月5日、もと11月5日)に、田から家へ田の神を迎えて饗応(=アエ)をする行事である[7][8]。かつては、春先(2月9日、もと1月9日)に家から田へ田の神を送り出す行事もあった。「アエノコト」では、種籾神体としてまつられる[7]
かかし、屋敷神、祖霊神かかし屋敷と水田(新潟県、1990)

大国主の国づくり説話に登場する「久延毘古」(クエビコ)は、かかしが神格化されたものであるが、これもまた田の神(農耕神)であり、地神である。かかしはその形状から神の依代とされ、地方によっては山の神信仰と結びつき、収獲祭や小正月行事のおりに「かかしあげ」の祭礼をともなうことがある[9]。また、かかしそのものを「田の神」と呼称する地域もある。なお、かかしは「かがし」を原義とする言葉と考えられ、これは稲作に害をおよぼす鳥獣が嫌悪する臭いをかがせ、それによって鳥獣を追い払う目的でつくられたという[10]

さらに、春秋去来の伝承は屋敷神の成立に深いかかわりをもっているとみられる[11][12]屋敷神の成立自体は比較的新しいが、神格としては農耕神・祖霊神との関係が強いとされ、特に祖霊信仰との深い関連が指摘される[4][11]。日本では、古来、死んだ祖先のは山に住むと考えられてきたため、その信仰を基底として、屋敷近くの山林に祖先をまつる祭場を設けたのが屋敷神の端緒ではないかと説明されることが多い。古代にあっては一般に、神霊は一箇所に留まらず、特定の時期に特定の場所に来臨し、祭りを受けたのちは再び還るものと信じられていた。また、現在ならば「」と称されるものも、かつては「同苗(どうみょう)」や「苗字(みょうじ)という用法があったように、東北地方の民俗例でみられる播種の際の戸別の「苗印(なえじるし)」は、田の神の依り代であると同時に家ごとに異なり、その点ではまさしく祖霊の神、家々の神であった[4]。屋敷神の祭祀の時期も、一般に春と秋に集中し、後述するように農耕神(田の神)のそれと重なっている[4][11]。その一方で農耕神もまた祖霊信仰のなかで重要な位置を占めるようになった[11]。こうして屋敷神・農耕神・祖霊神の三神は、穀霊神(年神)を中心に、互いに密接なかかわりをもつこととなったのである[4]
田の神の祭り

田の神は、その性格上、祭日も農耕の段階に応じて春と秋に集中する[8]。その多くは農耕儀礼の形式をとるが、主要なものとして、
年頭の予祝祭

農作業開始時の水口祭(みなくちまつり)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:74 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef