用賀
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 世田谷区 > 玉川地域 > 用賀

用賀
町丁
世田谷ビジネススクエア タワー棟
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}用賀用賀の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37分36.63秒 東経139度38分0.83秒 / 北緯35.6268417度 東経139.6335639度 / 35.6268417; 139.6335639
日本
都道府県 東京都
特別区 世田谷区
地域玉川地域
面積[1]
 ? 合計0.91 km2
人口(2024年令和6年)4月1日現在)[1]
 ? 合計15,743人
 ? 密度17,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号158-0097[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート世田谷

用賀(ようが)は、東京都世田谷区の地名・町名である。現行行政地名は用賀一丁目から用賀四丁目。郵便番号は158-0097[2]玉川地域に属する。
歴史

鎌倉時代初期に真言宗の瑜伽(ゆが)[注 1]・ヨーガ(ヨガ)の道場が開設されたことが地名の由来とする説がある[4][注 2]

新編武蔵国風土記によれば、永禄元亀年間(1558年 - 1573年)に後北条氏の家臣飯田帯刀とその息子飯田図書によって開発され[6]真福寺もこの時期に飯田図書を開基として創建されたものであるという[5][6]江戸時代以前は、大山街道の宿場町、真福寺の門前町として、規模の大きなものではなかったが、栄えていた。

1889年 - 荏原郡用賀村が周辺の村と合併し、玉川村大字用賀になる。

1932年 - 東京市に編入され世田谷区玉川用賀町になる。

1936年 - 隣接する北多摩郡村の東京市世田谷区編入に伴い、砧村大字大蔵の飛地を玉川用賀町に編入する。

1969年 - 東名高速道路全通。

1969年5月11日 - 東急玉川線(玉電)が廃止され、用賀停留所及び専用軌道も廃止される。

1971年 - 住居表示の実施に伴い町域が変更される。用賀と上用賀、玉川台、瀬田の一部、砧公園の一部に分かれた。

1977年4月7日 - 旧用賀停留所近くに東急新玉川線(東京11号線)用賀駅が開業。

1993年 - 旧玉電車庫用地に世田谷ビジネススクエアが開業。地上28階建て[7]のSBSタワーが建設される。

1994年 - 桜新町?用賀間の旧玉電専用軌道跡が道路として開通。駅前バスターミナル供用開始。

2000年8月6日 - 新玉川線を田園都市線に合併、改称。

地価

住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、用賀3-26-17の地点で90万3000円/m2である[8]

世田谷区の上用賀桜新町深沢中町上野毛瀬田玉川台と隣接する
世帯数と人口

2024年(令和6年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
用賀一丁目1,759世帯3,956人
用賀二丁目2,445世帯4,327人
用賀三丁目2,427世帯4,406人
用賀四丁目1,885世帯3,054人
計8,516世帯15,743人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

丁目番地小学校中学校
用賀一丁目9?27番世田谷区立桜町小学校世田谷区立瀬田中学校
その他世田谷区立深沢中学校
用賀二丁目1?12番
その他世田谷区立瀬田中学校
用賀三丁目全域世田谷区立京西小学校世田谷区立用賀中学校
用賀四丁目全域

交通
鉄道

東急田園都市線用賀駅(二丁目)
道路

用賀駅と砧公園世田谷美術館を繋ぐ遊歩道である、用賀プロムナードがある。道に敷き詰められている瓦に百人一首が刻まれており、いらか道との愛称でも呼ばれる。遊歩道の多くは木々で覆われている。その環境の良さからドラマ撮影などに使われる。石畳に川の模様が彫ってある。

用賀に碁盤目状の道路が整備されたのは昭和10年代であり[10]、1995年(平成7年)には区道への通称名付与の一環として、そのうちのひとつに用賀七条通りという通称が付けられた[11]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その際、用賀地区の道路が碁盤目状に整備されていることに着目し、大山通り世田谷通りの間で東西に抜ける道路に番号を付け、用賀条通りとなった。七条通りは大山通りから数えて(大山通りは含まず)北へ7番目の道路であることを意味している。[要出典]
一般道


国道246号(玉川通り)

東京都道3号世田谷町田線(世田谷通り)

東京都道311号環状八号線(環八通り)

東京都道427号瀬田貫井線(旧大山街道)

旧大山街道(国道246号旧道)

用賀中町通り

砧公園通り(用賀四条通り)

西用賀通り

用賀七条通り

高速道路


首都高速道路3号渋谷線用賀出入口


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