用賀駅
駅入口
ようが
Yōga
(GMOインターネットTOWER前[1])
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用賀駅(ようがえき)は、東京都世田谷区用賀二丁目にある、東急電鉄田園都市線の駅である。駅番号はDT 06。副駅名は「GMOインターネットTOWER前」。 新玉川線(現・田園都市線)の開通前、1969年(昭和44年)までは、現在の上りホーム先端付近の地上に東急玉川線(玉電)の用賀停留場があった。用賀の前後区間600メートルの専用軌道上にあった停留場には相対式ホーム2面が存在した。上りホームには出札窓口を備えた駅舎があり、上下ホームの間には構内踏切があった。駅南方には渡り線があり、渋谷駅からの折返し列車も設定されていた。そして、上りホーム南端からは新玉川線車両基地予定地への側線・引込線が敷かれていた。新玉川線起工式もこの予定地で実施されたが、着工後に同線直通先が営団地下鉄(現・東京地下鉄)銀座線から半蔵門線へと規格変更され敷地面積が不十分となったことから、車両基地は建設されることなく後に世田谷ビジネススクエアの用地となっている。 駅名は「用賀」の地名に由来する。この地名は仏教や禅とも関わりの深い「ヨーガ」 (Yoga) に由来するとの説がある。 東京都道427号瀬田貫井線の地下に相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。地上の道路の形状に合わせ、ホームは下り線から見て進行方向の左側へカーブする部分に設置されている。上りホーム渋谷方・二子玉川方と下りホーム二子玉川方にそれぞれ非常出口が設けられており、渋谷方の非常口からは直接地上に、また二子玉川方の非常口からは南口につながる地下通路に出られる。各ホームに発車標が設置されている。 ホーム階から改札階まで、改札階から地上までの間でそれぞれエスカレータとエレベーターが設置されており、利用し移動することが可能。改札階改札内には発車標が設置されている。定期券は専用の自動券売機のみで発売している。 非常用に、二子玉川駅方に渡り線を設けている。この渡り線の使用例としては、二子玉川周辺で実施される世田谷区と川崎市の花火大会時に長津田方面からの臨時列車折返し(但し、客扱いは二子玉川まで)に使用された例や2005年7月23日に発生した千葉県北西部地震に伴い、渋谷駅から先の東京メトロ半蔵門線が不通となり、二子玉川行となった電車が当駅で折返したと言うものがある。
歴史
東急玉川線・用賀停留場時代
年表
1907年(明治40年)4月1日:玉川電気鉄道(後の東急玉川線)用賀停留場開設。
1969年(昭和44年)5月10日:玉川線廃線に伴い、用賀停留場廃止。
1977年(昭和52年)
4月7日:新玉川線の駅として開設[2]。
11月16日:日中に田園都市線直通快速運行開始。
1978年(昭和53年)8月1日:半蔵門線開通に伴い、相互直通運転開始。
1979年(昭和54年)8月12日:各停も含め、終日に渡り半蔵門線と相互直通運転開始。
1993年(平成5年):世田谷ビジネススクエア竣工に合わせ北口を改良。エスカレータ・エレベーター・バスターミナルが整備される。
1994年(平成6年)1月17日:用賀中町通り - 当駅間の東京都道427号瀬田貫井線(旧・玉電専用軌道)開通に伴い、用賀中町通りを経由するバスの当駅バスターミナルへの乗入開始、同時に用賀付近のバス路線再編成実施。
2000年(平成12年)8月6日:新玉川線が田園都市線へ編入[3]。
2001年(平成13年)
3月:下りホームエレベーター使用開始。
10月:上りホームエレベーター使用開始[4]。
2006年(平成18年)6月22日:東京地下鉄8000系電車使用上り急行電車が当駅を通過する際、10両編成中4両の車体とホームが接触、車体とホーム双方に傷が付いた[5]。通過速度を通常の時速75kmから時速50kmへ抑制[5]。
2007年(平成19年)
3月18日:ICカード「PASMO」が利用可能となる[6]。
4月5日:上記事故を契機として発覚した、梶が谷駅でのホームと電車の接触事故に対する処置完了に合わせ、前年より続けられた当駅での速度制限を解除[7]。
2009年(平成21年)10月1日:管内再編に伴い、当駅は三軒茶屋管内から二子玉川管内へ移管。
2018年(平成30年)3月11日:ホームドアの使用を開始。
2022年(令和4年)4月19日:副駅名を「世田谷ビジネススクエア前」から「GMOインターネットTOWER前」へ改称[1]。
駅名の由来「用賀」も参照
駅構造