産業セメント鉄道種類株式会社
本社所在地 日本
福岡県田川郡後藤寺町大字弓削田2803-3[1]
設立1919年(大正8年)6月28日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業 砂利採取 他[1]
代表者社長 麻生太賀吉[1]
資本金5,425,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]。
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路線概略図
凡例
3.4金田駅
1.9豊前大熊駅
0.0宮床駅
0.0起行駅 (貨)
2.7船尾駅
6.4筑前庄内駅
8.4赤坂炭坑駅 (貨)
7.6赤坂駅
漆生線(現・後藤寺線)
『鉄道停車場一覧』昭和12年版による。
路線名は1937年(昭和12年)当時
産業セメント鉄道(さんぎょうせめんとてつどう)は、かつて福岡県で鉄道事業を行なっていた民営鉄道である。設立時の名称は九州産業鉄道(きゅうしゅうさんぎょうてつどう)であったが、1933年(昭和8年)に改称した。
筑豊地区の鉄道網の欠落部を補い、沿線から産出する石炭や石灰石の輸送を目的に設立され、2路線を有した。現在、九州旅客鉄道(JR九州)後藤寺線の一部となっている起行 - 船尾間を1922年(大正11年)に、船尾 - 赤坂炭坑間を1926年(大正15年)に開業し、1929年(昭和4年)には平成筑豊鉄道糸田線の一部となっている金宮鉄道を譲受したが、1943年(昭和18年)に戦時買収により全路線(12.5km)が国有鉄道(鉄道省)に編入された。目次
1 歴史
2 路線
3 輸送・収支実績
4 車両
4.1 車両数の推移
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
歴史
1917年(大正6年)8月3日 鎮西軽便鉄道(発起人麻生太吉)が、筑豊本線飯塚駅から田川線後藤寺駅に達する路線の敷設と旅客及び貨物運搬の業を営む申請書を鉄道大臣に提出
1919年(大正8年)
2月13日 鉄道免許状下付(嘉穂郡飯塚町-田川郡後藤寺町間)[2]
6月28日 鎮西軽便鉄道株式会社設立(取締役 麻生太吉)[3](資本金150万円、本社所在田川郡後藤寺町[4])
9月1日 九州産業鉄道へ改称
1922年(大正11年)
2月5日 起行(鉄道省の駅として既設。1982年(昭和57年)に廃止) - 船尾間を貨物運輸開業。船尾駅を開業[5]。運行管理を門司鉄道局に委託。
9月14日 鉄道免許状下付(嘉穂郡稲築村間大字鴨生-同郡桂川村大字豆田間)[6]
9月15日 起業目論見変更認可(田川郡後藤寺町-嘉穂郡稲築村間)[7]
1925年(大正14年)6月6日 線路変更(田川郡後藤寺町-嘉穂郡庄内村間)[8]
1926年(大正15年)7月15日 船尾 - 赤坂(鉄道省の駅として既設。現・下鴨生) - 赤坂炭坑(貨物駅。1945年(昭和20年)に廃止)間を延伸開業。起行-船尾間旅客営業開始。筑前庄内駅を開業[9]。旅客列車は起行から後藤寺まで省線を運行[10]。起行 - 船尾間の運行委託契約解除。
1928年(昭和3年)1月30日 金宮鉄道(発起人麻生太吉)に対し鉄道免許状下付(田川郡糸田村-同郡金田町間)[11]。
1929年(昭和4年)
2月1日 金宮鉄道が宮床(現・糸田) - 金田間を開業、金田・糸田・宮床の各駅を開業[12]
6月1日 九州産業鉄道が金宮鉄道の宮床 - 金田間を譲受[13]
1933年(昭和8年)10月6日 九州産業鉄道が九州産業株式会社(取締役麻生太吉)[14]と合併し産業セメント鉄道設立[15]
1942年(昭和17年)10月1日 豊前大熊駅を開業