生麦
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生麦
町丁
生麦駅東口
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度29分46秒 東経139度40分17秒 / 北緯35.496106度 東経139.671253度 / 35.496106; 139.671253
日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区鶴見区

人口情報(2024年(令和6年)4月30日現在[1]
 人口13,899 人
 世帯数8,990 世帯

面積[2]
 1.432 km²
人口密度9706.01 人/km²
設置日1967年昭和42年)5月1日
郵便番号230-0052[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
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生麦町
町丁
日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
鶴見区
町名制定1927年(昭和2年)4月1日
町名廃止1980年(昭和55年)7月28日

生麦(なまむぎ)は、神奈川県横浜市鶴見区の地名。現行行政地名は生麦一丁目から生麦五丁目。住居表示実施済み区域[5]。1980年(昭和55年)7月28日に廃止された生麦町(なまむぎちょう)[6]についてもこの項で述べる。

文久2年8月21日に生麦村を通行していた薩摩藩国父である島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を薩摩藩士が殺傷(無礼討ち)する事件が発生し(生麦事件)、この事件を発端に薩英戦争と呼ばれる薩摩藩イギリスとの戦争が勃発した[7]
地理

北西で岸谷四丁目、北で鶴見一丁目、北東で鶴見中央五丁目鶴見川を跨いで東で下野谷町小野町末広町、南で大黒町、南西で守屋町、西で神奈川区子安通子安台一丁目と隣接する。京急本線花月総持寺駅生麦駅及びJR東日本鶴見線国道駅があり、旧東海道および国道15号線(第一京浜)が通過する。1862年9月14日文久2年8月21日)に起こった生麦事件が有名で、生麦駅近くに事件の石碑が残っている。汎称地名として、1980年昭和55年)まで存在した生麦町の町域全体を指して呼ぶ場合がある。この場合は生麦のほか岸谷、鶴見、鶴見中央の一部も含まれる。生麦二丁目は全域が工業専用地域に指定されているため住居はない。
面積

面積は以下の通りである[2]

丁目面積(km2)
生麦一丁目0.438
生麦二丁目0.357
生麦三丁目0.181
生麦四丁目0.213
生麦五丁目0.243
計1.432

地価

住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、生麦4-23-8の地点で27万円/m2となっている[8]
歴史
地名の由来

江戸幕府二代将軍徳川秀忠の行列がこの地を通る際、道に水が溜まっており、通行ができなかった。そこで、村の人たちが、街道の脇の生麦を刈り取り道に敷き、その上を行列に通らせた。秀忠は感謝として、この一帯に生麦という地名を与え、村人に漁業を営むに関して特別な権利を与えた。
沿革

古来は武蔵国橘樹郡貴志(岸)村と称した[9]。江戸時代に生麦村に改称。「御菜八ヶ浦」の一つとされ、漁業が盛んであった。

1862年9月14日文久2年8月21日) - 生麦事件発生。

1878年明治11年)11月20日 - 隣接する鶴見村に合併。

1889年(明治22年)4月1日 -市町村制発足に伴い、寺尾村・鶴見村と統合し 生見尾村(うみおむら)の大字になる。

1905年(明治38年)12月24日 - 京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)開業。生麦駅が設置される。

1921年大正10年)4月1日 - 町制を施行して鶴見町の大字になる。

1927年昭和2年)4月1日 - 横浜市に編入され、大字生麦を廃して生麦町が置かれる[10]

1927年(昭和2年)10月1日 - 区制が施行されて鶴見区に編入される[11]

1928年(昭和3年)6月1日 - 横浜市電が生麦まで延伸。

1933年(昭和8年) - 潤光学園(現・法政大学国際高等学校)が字岸谷に設立される。

1936年(昭和11年)

10月20日 - 耕地整理に伴い、鶴見町との境界を変更する[12]

11月1日 - 耕地整理に伴い、一部を神奈川区子安町に編入する[12]


1939年(昭和14年)1月20日 - 土地区画整理事業に伴い、東寺尾町の一部を編入する[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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