生駒芳子
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生駒芳子(いこまよしこ)は、日本のファッション・ジャーナリスト、アート・プロデュース、工芸ブランドHIRUME総合プロデュース。

有限会社UNDERGROUND(モデル冨永愛個人事務所)代表。経済産業省:日本ものづくり大賞選考委員。内閣府:クール・ジャパン官民連携プラットフォーム構成員。内閣府・消費者委員会委員。カルチャービジョンジャパン アドバイザー。三重テラス クリエイティブ・ディレクター。東京都・江戸東京きらりプロジェクト委員。東京ブランドあり方検討会委員。石川県・伝統産業開発プロジェクトプロデューサー。LEXUS NEW TAKUMI PROJECTメンター。東京2020ブランドアドバイザリーグループ委員。東京2020オリンピック・パラリンピックマスコット審査会副座長。東京2020オリンピック・パラリンピック大会スタッフ・都市ボランティアユニフォーム選考委員会座長。日本エシカル推進協議会副会長。国連WFP(世界食糧計画)顧問。杉野服飾大学大学院講師。NPO法人「サービスグラント」理事。ファッション業界における女性のエンパワーメント高める会「WEF」理事。未来の叡智を育てる「NEXT WISDOM FOUNDATION」評議員。
来歴

兵庫県宝塚市生まれ。両親は大阪出身、祖母は三重県伊賀上野出身。大阪府立茨木高等学校を経て、1981年東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業。

10代はロックミュージックに燃え、一日2~3時間筆をとる日記魔でもあった。17歳のとき、平塚らいてうの著書「元始、女性は太陽であった」を読み、結婚をしても一生涯働くと決意する。大学時代はフランス語を専攻しながら、写真部、演劇部、社交ダンス部に所属。ロバート・キャパの戦争写真、吉田ルイ子の著書「自分を探して旅に出ています」に感動し、フォト・ジャーナリストという仕事、生き方に強い興味を持つ。

1981~83年、編集プロダクション「ぐるーぷ・ぱあめ」にカメラマン・編集者として所属し、沖縄から北海道まで日本全国に単独で出かけ、「るるぶ」「翼の王国」など旅行雑誌の取材/撮影を手がける。

80年代半ばよりフリーランスのライター、エディターとなる。当初、マガジンハウスにカメラマンとして売り込みに行くが、のちにライター業務に絞り、「anan」「ELLE Japon」「BRUTUS」などの雑誌で取材・執筆を行う。「流行通信」「SPUR」「AERA」などにも執筆し、朝日新聞で連載「新風新派」を担当。ファッション、アートについて執筆/編集を重ねる。

80年代末からは、自費でパリコレクション、ミラノコレクションに出かけて取材すると同時に、ヴェネチア・ビエンナーレドクメンタミュンスター彫刻プロジェクト、フィレンツェビエンナーレなど、アートの催しにも自ら積極的に出かけ、記事を編集・執筆する。

1990年には、マガジンハウスから出版された「コムデギャルソンと川久保玲」を翻訳。また1993年に開催された三宅一生の展覧会「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」のカタログの編集を担当。

90年代前半、ホテル内のアートプロジェクトのディレクションを行う(ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル、ハイアット リージェンシー 大阪)ほか、アーティスト内藤礼のマネージメントを務め海外展のコーディネートをするなど、アートプロジェクトに関わる。

1994年、出産を経験し、1年間仕事を中断する。その経験を執筆し、1995年に筑摩書房から「神経衰弱ギリギリの妊婦たち」を出版。ワーキングマザーが出産を経験する、その心理を書き留めた一冊となった。

98年よりヴォーグ・ニッポンに所属。創刊準備のチームに入り、創刊時には副編集長となり、ファッションとカルチャーの記事を担当。2002年よりエルジャポンで副編集長として活動したのち、2004年よりマリ・クレール日本版において編集長に就任。パリコレクションミラノコレクションの取材を定期的に行い、ファッショントレンド分析に深く関わる。マリ・クレールでは、新しい試みとして、今までにない、社会派の視点を持ったジャーナリスティックなファッション雑誌を立ち上げる。2005年「ホワイト・キャンペーン?赤ちゃんと子供の命を守ろう!」、2006年「LOVEキャンペーン?日本人の愛のエンゲル係数を高めよう!」2007年「プラネット・キャンペーン?地球規模で考えよう!」を展開。「エコ・リュクス」「プラネット・ウーマン」などを企画化し、いまだ根付いていなかったチャリティ、社会貢献などをいち早く取り上げる。

2008年11月より独立し、現在はフリーランスのジャーナリスト/エディター、アート・プロデューサーとして活動を展開。ファッション、アート、ライフスタイルを核として、社会貢献、エコロジー、社会企業、女性の生き方まで、講演会出演、プロジェクト立ち上げ、雑誌や新聞への執筆にも関わる。

クリエイターとNPO団体を繋ぐNPO「サービスグラント」の理事を務め、プロボノ(仕事のスキルでボランティアする)の推進をすると同時に、「グリーンEXPO」「オーガニックEXPO」でファッションゾーンのディレクションを担当し、エシカル・ファッションの研究を続ける。2013年12月には、「エコプロダクツ」展にて、高校生、ファッションスクールの生徒によるエシカル・ファッションショウを行う。2017年よりは、日本エシカル推進協議会の副会長として、エコプロダクツ展やエシカルサミット、エシカル朝食会で、ナビゲーター、司会として運営・進行・PRを務め、内閣府・消費者委員会の委員に就任。エシカル・ファッション、エシカル消費、SDGsの普及活動に取り組む。

2010年、金沢にファッション・コンクールの審査委員長として招かれた際に、金沢の伝統工芸の里を訪ね、美しいもの作りに感動すると同時に、「我々には未来が無い」という職人の言葉にショックを受けた。


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