生駒正成
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 凡例森正成 / 生駒正成
時代室町時代末期、安土桃山時代戦国時代
生誕不詳
死没天正16年8月27日1588年10月17日
改名森正成→生駒正成
別名通称:甚之丞
別名:前野正成
号:自竹
戒名覚翁自竹禅定門
官位従五位下 - 式部少輔
幕府室町幕府
主君織田弾正忠家
織田信長織田信意(北畠具豊)
氏族清和源氏経基流大和源氏森氏
父母父:森正久生駒家宗
母:阿久以(前野正義娘)
兄弟正成、森正利、森正好、露乃
妻生駒須古(生駒家宗娘)
子森雄成、森正友、於亀(前田源助[1]室)
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生駒 正成(いこま まさなり)は、室町時代末期から安土桃山時代戦国時代)にかけての武将。実名は森正成で、のちに生駒家宗の娘婿となって生駒式部少輔を称した[2]
来歴

正成は伊勢国中江城主森式部少輔正久(前野小一郎正久)の嫡男に生まれる[2]。母は前野家十二代正義の娘の阿久以であるという[2]。父の正久は正義の婿養子となった[2]

はじめ森甚之丞正成と名乗り、父の居城である中江城にあったという[2]。父とともに中江を退いて尾張国に落ちた際には、小折村生駒家屋敷の二の丸に居住したという[2]。ここで生駒家宗の娘(生駒吉乃の妹)を正室として婿養子となり、生駒式部少輔正成を名乗った[2]。妹の露乃は吉乃に仕えた[2]。後に母の縁をもって前野村前野家屋敷に移住した[2]。この頃から織田弾正忠家織田信長に仕え、高名をあげたという[2]

後に織田信長が伊勢国北畠氏を攻め、北畠具教のあとに北畠具豊(のちの織田信雄)を置くと、その配下となって旧領中江を賜った[2]

天正12年(1584年)、嫡男の森雄成が織田信雄の勘気を蒙り、正成は前野村に蟄居する[2]。四年後の天正16年(1588年)8月27日、同地で死去する[2]。法名は覚翁自竹禅定門[2]
氏族

正成は、伊勢国中江に本拠を置く森氏の嫡男に生まれる[2]。この森氏は人皇56代清和天皇の後胤、清和源氏経基流森大和守源頼親の末裔である大和源氏森氏であり、いつの代かに大和から伊勢に移住したという[2]

後に小折村の生駒氏の婿養子となった[2]。この生駒氏は藤原北家良房流の氏族で、もとは同じく大和国の豪族である[2]。正成の妻の姉は生駒吉乃であり、織田信長の室で織田信忠や信雄の母であるため、正成嫡男の森雄成は主君織田信雄の従兄弟にあたる。生駒家は、正成の母の生家である前野家とも関わりが深く、江戸時代には前野家は生駒家に仕えた[2]。父が前野家の養子だったので、前野家屋敷と生駒家屋敷に居候していたという[2]
系譜

父:
森正久(前野正久)

母:阿久以(前野正義

正室:生駒須古(生駒家宗娘、万星須古禅定尼)

男子:森雄成(森成久)

男子:森正友

女子:於亀(前田源助[1]室)

男子:生駒正守[注釈 1]


脚注[脚注の使い方]
注釈^ 実父は森正好とされるが母が生駒氏とあり、正成実子もしくは養子の可能性がある。

出典^ a b 佐脇良之の子。尾張犬山の住人。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『尾張国丹羽郡稲木庄前野村前野氏系図』


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