生野銀山
明治時代の生野鉱山
所在地
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所在地兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市)
国 日本
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度10分18.04秒 東経134度49分10.74秒 / 北緯35.1716778度 東経134.8196500度 / 35.1716778; 134.8196500
生野銀山(いくのぎんざん)は、兵庫県朝来市(但馬国)に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山である。
明治新政府が日本の鉱業(鉱山・製鉱所)の近代化を確立するために最初に官営(直轄)鉱山とした模範鉱山である。 生野銀山は平安時代初期の大同2年(807年)の開坑と伝えられるが、詳細は不明。天文11年(1542年)、但馬国守護大名・山名祐豊により、石見銀山から採掘・精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まった。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者は直轄地とし、佐渡金山(越後)、石見銀山(石見)とともに重要な財源とした。 江戸時代に入ると生野奉行が置かれ、第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。宝永2年(1705年)には、「御所務山(ごしょむやま)」という最上級の鉱山に指定されている。 慶安年間(1648年 - 1652年)頃より銀産出が衰退し、享保元年(1716年)には生野奉行は生野代官と改称した。江戸中期には銀に換わり、銅や錫の産出が激増している。 明治元年(1868年)から日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長・朝倉盛明を筆頭として、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得て、先進技術を導入し近代化が進められた。 明治22年(1889年)から宮内省所管の皇室財産となり、明治29年(1896年)に三菱合資会社に払下げられ、国内有数の鉱山となった。 明治から大正にかけての生野銀山を舞台とする小説に、玉岡かおるの『銀のみち一条』(新潮社 2008年)がある。 昭和48年(1973年)3月22日、資源減少による鉱石の品質の悪化、坑道延長が長くなり採掘コストが増加し、山ハネなどにより採掘が危険となったことから閉山し1200年の歴史に幕を閉じた。坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達している。 なお、閉山後は三菱鉱業(その後、三菱鉱業セメントを経て現三菱マテリアル)が引き続き銀山周辺に生野事業所を設置し、現在も生野の主要産業となっている。 史跡 生野銀山 閉山後の1974年に、史跡 生野銀山(三菱鉱業の後継の三菱鉱業セメントと朝来市が出資する第三セクター会社、シルバー生野が管理・運営)という名称でテーマパークを開業した。のみの跡も生々しい坑道巡りのほか、鉱山資料館には「和田コレクション(和田維四郎)」をはじめとした多数の貴重な鉱物が展示されていたが、2023年2月現在では埼玉県大宮の三菱マテリアル(三菱鉱業セメントの後継会社)へ移動している。 2007年に近代化産業遺産、および日本の地質百選に選定された。
歴史
戦国時代
江戸時代
戦前坑道
戦後
史跡 生野銀山
鉱山資料館
施設情報
前身生野銀山
テーマ生野銀山
キャッチコピー1200年の歴史とロマン
水と緑の美しい自然の里
事業主体株式会社シルバー生野
管理運営株式会社シルバー生野
開園1974年
所在地〒679-3324
兵庫県朝来市生野町小野33-5
位置北緯35度10分18.04秒 東経134度49分10.74秒 / 北緯35.1716778度 東経134.8196500度 / 35.1716778; 134.8196500
公式サイト ⇒http://www.ikuno-ginzan.co.jp/
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施設
金香瀬(かながせ)旧坑露頭群
観光坑道(金香瀬坑) - 金香瀬本坑、滝間歩坑道、慶寿ひ坑道、大丸ひ坑道(「ひ」の漢字は金偏に「通」)
鉱山資料館
生野銀山文化ミュージアム(生野鉱物館2階):別料金
生野鉱物館
吹屋資料館
代官所門
不動滝
観音岩
レストハウス・お土産館
銀山食堂(閉店)
石影の広場
一円電車
入場料
大人・中高生・小学生・小学生未満に分類される。大人1000円、中高生600円、小学生400円、小学生未満は無料。
障害者手帳保有者は、本人に限り半額(等級によっては付添人も半額)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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