生田緑地
生田緑地正面口
分類都市公園(総合公園)
所在地 日本神奈川県川崎市多摩区、宮前区
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度36分34秒 東経139度33分29秒 / 北緯35.60944度 東経139.55806度 / 35.60944; 139.55806
生田緑地(いくたりょくち)は、神奈川県川崎市多摩区枡形、東生田、長尾、および宮前区初山にある都市公園(総合公園)である[1]。
なお、桝形山(ますがたやま)及び飯室山(いいむろやま)の大部分は生田緑地内に含まれている。
概要生田緑地にて保存されているD51形蒸気機関車408号機生田緑地にて保存されているスハ42形客車2047号車日本民家園川崎市岡本太郎美術館の航空写真「母の塔」岡本太郎美術館
多摩丘陵が多摩川に接する東端の一角に位置しており、現在は計画面積 179.3ha(うち供用面積 95.5ha)の、川崎市内最大の都市公園である。入場は無料だが、一部施設では観覧料等が必要となる。当緑地の維持管理に際しては多くの市民団体が参加している。
津久井道沿いの賑わいが間近に控え、江戸から神奈川(現在の横浜市)方面までの眺望が開ける桝形山一帯には、かつて鎌倉時代に稲毛地方(概ね現在の川崎市北部地域)を支配していた源頼朝の重臣 稲毛三郎重成が本拠を構え、同山頂に枡形城を築いたとされている。
近代以降は急速に都市化が進み、当地周辺のかつて豊かな森林が広がっていた風景は劇的に変化することとなるが、ここ生田緑地の一角は本格的な都市化が始まる前に川崎市が緑地として都市計画決定したこと、およびその一角に構えていた向ヶ丘遊園が一定の森林を保全しつつ営業していたことから、周辺で宅地開発が進む中にあっても豊かな森が比較的多く残されることとなった。
向ヶ丘遊園、専修大学生田キャンパス、東高根森林公園、緑ヶ丘霊園が当地と概ね東西方向に尾根続きになっている。 枡形山山頂(2006-06-01撮影)飯室山の頂上にある標識(2008-02-03撮影)枡形山展望台から江戸(東京)方面を望む(2006-06-01撮影)長者穴横穴墳群の一部 当緑地西部、および旧向ヶ丘遊園の東南部には、かつての雑木林が保存・維持管理されており、うち西部については散策道が整備され、森林浴を楽しめるとともに、「グリーンアドベンチャー」として当緑地内で見られる樹木の名前や特徴などを学べる案内板の設置なども行われている。また、一角ではゲンジボタルなどが生活できる環境が整備されるとともに湿地帯や田畑が維持され、かつて人里の生活に密着していた小動物の生態も観察できる。 かつては、ここ多摩丘陵を含め多くの地域で当然のように営まれていた、人間と山林の共生環境である里山や雑木林について、都市化が進んだ近頃ではその実情を知る機会すら得られない場合も少なくないが、当緑地ではその様子を垣間見ることができるよう解説なども設置されている。
沿革
1927年(昭和2年)- 小田急電鉄(当時の小田原急行)が向ヶ丘遊園を開園。
1930年(昭和5年)- 戸隠不動本堂が建立され(当時は私有地)、本尊不動明王などを招来。
1941年(昭和16年)- 川崎市が、桝形山や向ヶ丘遊園およびその周辺の森林 165.5ha について緑地として都市計画決定する。
なお、都市計画決定以前は「生田緑地」ではないが、参考のため付記している。
1954年(昭和29年)- 緑地計画区域内にて民間企業がゴルフ場(川崎国際カントリークラブ)の営業を開始。
1961年(昭和36年)- 生田緑地管理事務所(現在の北部公園事務所)を設置。
1964年(昭和39年)- 整備着手。
1967年(昭和42年)- 日本民家園が開園。
1968年(昭和43年)- 長者穴横穴墓群の一部墳墓で発掘調査される。
1971年(昭和46年)
青少年科学館プラネタリウムが開館。
D51形蒸気機関車408号機が静態保存される。
川崎ローム斜面崩壊実験事故が発生。死者15名、負傷者9名。
1985年(昭和60年)- スハ42形客車(2047号)が静態保存される。
1992年(平成4年)- ゴルフ場の営業が川崎市に移管される。
1993年(平成5年)- 戸隠不動焼失。以降、跡地は生田緑地の一部として整備される。
1999年(平成11年)- 岡本太郎美術館が開館。
2002年(平成14年)- 向ヶ丘遊園が閉園。ばら苑が暫定的に生田緑地内に組み入れられる。
2004年(平成16年)- 向ヶ丘遊園跡地の整備計画について、川崎市と小田急電鉄が基本合意。同地の緑地指定区域の変更(森林部分を追加し、更地部分を解除)などの方向性が決定する。
2006年(平成18年)- 藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)の設置が決定。
2011年(平成23年)9月3日 - 藤子・F・不二雄ミュージアムがオープンした[2]。
2012年(平成24年)- 川崎市青少年科学館が「かわさき宙と緑の科学館」としてリニューアルオープン。
名所・旧跡
桝形山(ますがたやま)
山頂が桝のように四角形の平地になっていることから、こう呼ばれるようになったと言われている。
枡形城址
稲毛三郎重成により築城されたといわれ、現在は遺構は残っていないが碑が建てられている。
枡形山展望台
春には山頂に植えられた桜が彩りを添え、夏には一帯が緑で覆われ多摩丘陵のかつての姿を彷彿とさせる。そして木々が葉を落とす冬には横浜市街や遠く富士山までを見渡すことができる。手すりの柱は十二支の動物達を象り、これで方角を示している。
なお、当展望台は夜間は閉鎖される。スロープおよびエレベータが整備されている。
飯室山(広場)
長者穴横穴墓群
古くから横穴古墳として知られているが、古代人の生活の場であるとする説もある。うち一部が昭和43年に調査され、鉄鏃や勾玉などが発見されている。現在は、見学できるよう遊歩道が設置されている。
戸隠不動堂跡
1930年に真言宗豊山派の仏堂として創建された。戸隠神社の実道院の仏像であった不動明王を招来して祀っており、周辺住民の信仰を集め、武相不動尊霊二十八札所の第二十六番札所として、毎酉年には、多くの参詣者を集めていた。しかし、1993年(平成5年)に本堂が焼失し、以降所有者らによる再建が検討されたものの断念、跡地は市に譲渡された。現在は、生田緑地の一部として整備されており、火災後廃寺となり本堂などは破却されたが、本堂の柱や燈籠などを模したモニュメントが今も残り、川崎歴史ガイドのガイドパネルが建っている(公共施設内への宗教施設の建造は、政教分離のため法的に難しく、復元は実現されていない)。なお、かつての参道は、ヤマザクラの並木道になっており、春には鮮やかに彩られる。
自然・広場
しょうぶ園
噴水広場
都道府県の木見本園
自然探勝路
グリーンアドベンチャーコース
野鳥の森
ふるさとのこみち
梅園
つつじ山
奥の池
ホタルの里
初山芝生広場(宮前区域)
おし沼広場
生田緑地で見られる植物