生田神社
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生田神社

拝殿
所在地兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分41秒 東経135度11分26秒 / 北緯34.69472度 東経135.19056度 / 34.69472; 135.19056 (生田神社)座標: 北緯34度41分41秒 東経135度11分26秒 / 北緯34.69472度 東経135.19056度 / 34.69472; 135.19056 (生田神社)
主祭神稚日女尊
社格式内社名神大
官幣中社
別表神社
創建神功皇后元年(201年
本殿の様式春日造
札所等神仏霊場巡拝の道第66番(兵庫第1番)
例祭4月15日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}生田神社
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鳥居

生田神社(いくたじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区下山手通にある神社式内社名神大社)で、旧社格官幣中社

廣田神社長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する神社であり、長田神社・湊川神社とともに神戸を代表する神社の1つである。かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となる。地元では「生田さん」として親しまれている。
祭神

稚日女尊(わかひるめのみこと)である。「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも和魂であるともいわれている。
歴史
概史

201年神功皇后三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行ったところ、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に祀られていた。799年延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。

平城天皇806年大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。

延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相甞・新甞の幣帛に預ると記されている。

近代社格制度のもとで1871年明治4年)に県社に列格し、その後1885年(明治18年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、1896年(明治29年)には官幣中社に昇格した。

社殿は、1938年昭和13年)の神戸大水害1945年昭和20年)の神戸大空襲1995年平成7年)の阪神・淡路大震災など何度も災害などの被害にあい、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。
神階

天安3年(859年1月27日、従五位下勲八等から従四位下勲八等 (『日本三代実録』)

貞観10年(868年12月16日、従四位下勲八等から従三位勲八等 (『日本三代実録』)

伝説・伝承

799年の大洪水の際、社の周囲にはの木が植えられていたが、洪水を防ぐ役割を全く果たさなかった。その故事から、今でも生田の森には1本も松の木は植えられていない。また過去には能舞台の鏡板にも杉の絵が描かれ、元旦には門松は立てず杉盛を立てる。

中央区熊内町の熊内八幡神社付近にある「旭の鳥居」[1]には、砂山に生田神社があった頃の一の鳥居であるという伝承がある。「旭の鳥居」は、元旦に朝日を受けても影を落とさないとされることからこの名がある[1]

宮司である加藤隆久『生田神社』(学生社、2005年)に歴史も含め詳しい説明がある。

の生田敦盛では、敦盛の遺児が賀茂明神への祈誓により当地にて亡き敦盛と対面する。
境内

鳥居の向こうに楼閣・本殿があるが、他にも脇社として蛭子神社および稲荷社・弁天池などがある。また、「謡曲生田敦盛」の碑や、地元飲食店や食品間連企業などの寄付で作られた包丁塚・震災復興祈念碑・楠の神木がある。柱に書かれた寄進者名には、ホテルあるいは海洋関係の企業も多い。

包丁塚は、1993年(平成5年)10月25日に建立された。

境内北側に鎮守の森が広がっており「生田の森」と呼ばれている。

本殿

楼門

生田の森

生田池

大鳥居

一の鳥居

摂末社

境内に以下の摂末社がある[2]。祭神・説明欄は公式サイトによる[2]

住吉神社

祭神:表筒男命中筒男命底筒男命

説明:海上安全・交通安全の神


八幡神社

祭神:応神天皇

説明:厄除開運の神


諏訪神社

祭神:武御名方命

説明:農耕狩猟・武運長久・力の神


日吉神社

祭神:大山咋命

説明:農工業・五穀豊穣の神


市杵島神社

祭神:市杵島姫命

説明:芸能上達・水の神


稲荷神社

祭神:稲倉魂命(うがのみたまのみこと)

説明:生活守護・食物、稲の神


塞神社

祭神:道返大神(ちがえしのおおかみ)・八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比売神(やちまたひめのかみ)

説明:病気封じ・道守りの神


雷大臣神社

祭神:中臣烏賊津連(なかとみのいかつおみのむらじ)

説明:元社家であった後神(ごこう)家の始祖神


人丸神社

祭神:柿本人麿

説明:夫婦和合・学問向上の神


蛭子神社

祭神:蛭子命

説明:商売繁盛の神


大海神社

祭神:猿田彦命

説明:海上安全・交通安全・方位除け・道開きの神


松尾神社

祭神:大山咋命


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