生物学と有機化学の年表
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生物学と有機化学の年表(せいぶつがくとゆうきかがくのねんぴょう)では、生物学有機化学年表にする。
1600年以前

紀元前520年頃 -
クロトンのアルクマイオン古代ギリシア)は、動脈と静脈を識別した、そして視神経も発見していた。

紀元前500年頃[1] - ススルタ(Sushruta、古代インド)はススルタ大医典(Sushruta Samhita)を著し、120以上の外科用器具、300もの外科手術法および8種類の手術区分ついて著述している。また、はなそぎの刑に対して整形外科的手術を施した。

紀元前500年頃 - クセノファネス(Xenophanes、古代ギリシア)は、化石を調査して、生命の進化について思索した。

紀元前350年頃 - アリストテレス(古代ギリシア)は、動物の包括的な分類を試みた。彼の著述の、Historia Animaliumは動物の一般生物学、De Partibus Animaliumは動物の比較解剖学と動物の生理学とDe Generatione Animaliumは発生生物学に関する著作である。

紀元前320年頃 - テオフラストゥス(TheophrastosまたはTheophrastus)は、系統的な植物学といえる最初の研究を行う。

紀元前300年頃 - ヘロフィロス(Herophilos、古代ギリシア)は人体を解剖した。

紀元前300年頃 - ディオクレス(Diocles、古代ギリシア)は、最初の解剖学本を書き、解剖学という用語を最初に使用した。

50-70年頃 - 大プリニウス(Gaius Plinius Secundus)は全37巻のHistoria Naturalisを出版した。

130年-200年頃 - ガレノス(Claudius Galen、古代ギリシア)は、人体解剖で多くの論文を書いた。

1010年頃 - イブン・シーナー(英語表記:Avicenna, アラビア語表記:Ibn Sina または Abu Ali al Hussein ibn Abdallah)は、著作Canon of Medicine(Kitab al-Qanun fi al-tibb)を出版した。

1600-1800

1628年 - ウィリアム・ハーヴィ(William Harvey)は、著作An Anatomical Exercise on the Motion of the Heart and Blood in Animals (動物の血流と心臓の動きに関する解剖学的研究)を出版した。

1658年 - ヤン・スワンメルダム(Jan Swammerdam)は、顕微鏡下で赤血球を観察した。

1649年 - ルネ・デカルトが『情念論』(Passions de l'ame )で松果腺からの動物精気が神経を動かし感情が生じるとした。

1663年 - ロバート・フック(は、コルクを顕微鏡で観察し細胞を発見した。

1668年 - フランチェスコ・レディは、腐敗物よりウジが自然発生するという説が誤りであることを証明した。

1674年 - アントニ・ファン・レーウェンフックは顕微鏡で原生動物を観察し、animalculesと命名した。

1676年 - アントニ・ファン・レーウェンフックは顕微鏡でバクテリアを観察した。

1677年 - アントニ・ファン・レーウェンフックは顕微鏡で精子を観察した。

1694年 - ルドルフ・ヤーコプ・カメラリウスは、種子の形成に花粉が必要であり、植物にも動物と同様の性が存在することを証明した。

1765年 - ラザロ・スパランツァーニは、細胞の生命自然発生説の大半が誤りであると証明した。

1771年 - ジョセフ・プリーストリーは、植物が二酸化炭素酸素に変えることを発見した。

1798年 - トマス・ロバート・マルサスは、『人口論』(An Essay on the Principle of Population)において人口増加と食料生産の関係を論じた。

17世紀-18世紀 - 化学者ゲオルク・エルンスト・シュタールは、無機物から有機物を合成できるのは生物のみであり、それは体内の生気が必要であるという生気論を唱えた。

1800-1899

1801年 - ジャン=バティスト・ラマルク (Jean-Baptiste Lamarck)は、無脊椎動物の分類法について初めて詳細に研究した。

1802年 - 現代の「生物学」(biology)という意味でこの用語が、ゴットフリート・ラインホルト・トレヴィラヌス(Gottfried Reinhold Treviranus)の著作Biologie oder Philosophie der lebenden Natur『生物学或いは命ある自然に関する哲学』とラマルク(Jean-Baptiste Lamarck)の著作Hydrogeologieでそれぞれ独自に使用される。biologyの語自身は1800年にカール・フリードリッヒ・ブルダッハ (Karl Friedrich Burdach)が創作した造語である。

1809年 - ラマルクは、獲得形質の遺伝に関する進化論を提唱した。

1817年 - ピエール=ジョセフ・ペルティエ(Pierre-Joseph Pelletier)とジョセフ・ベイネミ・カヴァントゥー(Joseph-Bienaime Caventou)は、葉緑素を単離した。

1820年 - クリスチャン・フリードリッヒ・ナッセ(Christian Friedrich Nasse)は、Nasseの法則を確立した。すなわち「血友病は、男性でのみ発症するが、その遺伝は発現しない女性を介して渡される」。

1828年 - カール・フォン・ベール(Karl von Baer、ドイツ)は、哺乳動物卵細胞を発見した。

1828年 - フリードリヒ・ヴェーラー(Friedrich Woehler、ドイツ)は尿素を合成した。;無生物の材料から出発する有機化合物の最初の合成例となった。

1836年 - テオドール・シュワン(Theodor Schwann)は、胃組織の抽出物からペプシンを発見する;動物性酵素の最初の分離例となった。

1837年 - テオドール・シュワンは、熱せられた空気が腐敗の予防になることを示した(無菌操作法の始まり)。

1838年 - マティアス・ヤーコプ・シュライデン(Matthias Schleiden、ドイツ)は、すべての植物の生体組織が細胞から成り立っていることを主張した(植物における細胞説)。

1839年 - テオドール・シュワンは、すべての動物の生体組織が植物と同様に細胞から成り立っていることを主張した(細胞説)。

1856年 - ルイ・パスツール(Louis Pasteur、フランス)は、微生物が発酵の原因であると提唱した。

1858年

チャールズ・ダーウィンイギリス)とアルフレッド・ラッセル・ウォレスイギリス)は、自然淘汰による進化論をそれぞれ独自に提唱した。

ルドルフ・フィルヒョー(Rudolf Virchow、ドイツ)は、「細胞は、細胞からのみ発生する」ことを提唱した。


1862年 - ルイ・パスツールは、細胞の自然発生説が誤りであることを証明した。

1865年

グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Mendel、チェコスロバキア生まれ;オーストリア)は、エンドウ豆の異種交配を観察し、優性遺伝あるいは劣性遺伝する因子についての仮説(メンデルの法則)を提唱した。


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