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生気論(せいきろん、vitalism)は、「生命に非生物にはない特別な力を認める」とする学問である。生気説、活力説、活力論とも呼ばれる。
生命現象には物理学及び化学の法則だけでは説明できない独特の原理があるとする説[1]。
生命現象の合目的性を認め、その合目的性
科学史的に見ても、重要な論・立場である[3]。一般的には機械論と対立してきたとされている。非生物と比較して、動植物などの生命だけに特有な力を 認める/認めない という点での対立である。
現代生物学は基本的に唯物論的・機械論的な立場を採用しており、生気論は認められていない。現代の科学者はしばしば「過去の誤った理論」などと見なしている。ただし、一見すると生気論は古い考え方と思われがちだが、生命を情報という観点からとらえる現代生物学は、むしろこの生気論に近い考え方になってきているとも言える[4]と指摘されている。 古代ギリシアの伝統ではプネウマ (pneuma) 或いはプシュケー (psyche)[5] という語は息という語源を持ち、身体を動かすもとをなすと考えられた。 古代ギリシアのヒポクラテスやアリストテレス、ガレノスらそれに影響を受けながらも独自に学説を発展させた。 例えばヒポクラテス(紀元前460年 - 紀元前377年)はエンペドクレスのいわゆる四大元素説から人間の気質を規定する四体液説を唱えた。黒胆汁、黄胆汁、血液、粘液があり、それらの体液の割合により人の気質が決定されているとするものである。
歴史
古代ギリシア
ガレノス(129年頃 - 200年頃)は解剖学や生理学の観察から、生気は自然精気、生命精気、動物精気の三形態をとると説いた。
彼らの学説は、西洋における生気論の源流であり、生物は何らかの目的を持って創られたという推測を前提としていた。 ウィリアム・ハーヴィー (1578 - 1657) や、J.T.ニーダムも生気論的後成論
近世ヨーロッパ
17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは、自著『情念論』(Passions de l'ame, 1649) において、「松果腺からの動物精気が神経を動かし感情が生じる」とした。
化学者ゲオルク・エルンスト・シュタール (1659 - 1734) は、「無機物から有機物を合成できるのは生物のみであり、それは体内の生気が必要であるからだ」と提唱した。これは生気論の根拠として重要視された。
ブルーメンバッハは『形成衝動』(1781) において、生物の形態が物理・化学的な素材や力学的作用因だけでは生まれないとし、生命特有の因子があるとした。