生態学
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生態学の祖、
エルンスト・ヘッケル

生態学(せいたいがく、英語: ecology)は、生物環境の間の相互作用を扱う学問分野である。

生物は環境に影響を与え、環境は生物に影響を与える。生態学研究の主要な関心は、生物個体の分布や数にそしてこれらがいかに環境に影響されるかにある。ここでの「環境」とは、気候地質など非生物的な環境と生物的環境を含んでいる。

なお、生物群の名前を付けて「○○の生態」という場合、その生物に関する生態学的特徴を意味する場合もあるが、単に「生きた姿」の意味で使われる場合もある。経済活動や社会運動も含めた広義のそれについて「エコロジー」を参照
生態学の定義

非常に頻繁になされる定義、とくに人類生態学(英語版)で用いられる定義では、以下の三角関係についての研究が生態学とされている。

内の個体間の関係 - 例: 1匹のウサギは他のウサギとどのように関係しているか。繁殖率が高ければ、ウサギの個体数は増加する。

種の組織的な活動 - 例: ウサギの食物消費量の増加が環境に与える影響はどのようなものだろうか。食物を大量に消費すれば、結果として食物不足が起こり、個体群が維持できなくなるだろう。

これらの活動の環境 - 例: ウサギにとっての環境の変化の結果、ウサギたちは上に述べた状況により死に絶えてしまう。従って、環境はこの活動の(すなわち、ウサギの生存の)生産物であると同時に、この活動を取り巻く状況でもある。

ecology(生態学、エコロジー)という語は、誰がその語を用いているかによって意味するところが異なる。多くの科学者にとって、ecology は基本的な生物科学に属しており、生物個体やそれ以上の生物の集団、およびその環境を研究対象とする。

たとえば、いわゆる生物濃縮の現象は、生態学の理論によってのみ説明が可能な現象である。

科学者でない多くの人にとって「エコロジー」は科学の一分野ではなく、何よりもまず人間およびその活動から自然と環境を保護することであるが、これは人間対自然という二項対立の見地によるものである。

必ずしも一般的ではないが、生態学を科学としての生物学以上のものとする見方もある。その考えによると、生態学とは、自分たち以外の生物と調和して存在し、また我々を取り巻く他の生物群を単なる物として利用すべきではなく、むしろより大きな一貫したシステムに属するそれぞれの要員ととらえ、ひとつの組織であると考える、ある種の世界観である。
生態学の歴史
生態学の歴史的背景

古代ギリシャアリストテレスの動物に関する研究やテオプラストスの植物、植物群落についての研究にはじまり、ローマ大プリニウスの自然史などをへて、ロバート・ボイルの呼吸についての研究、ルネ・レオミュールの昆虫の生活史や社会生活に関する研究、さらにリンネの分類学や地理学的研究、ビュフォンの自然史と環境と生物の関係についての研究を生態学の前史にアリー(1949)[1]は位置づけた。

英語の "ecology" は、1866年にドイツダーウィン主義生物学者エルンスト・ヘッケルにより作られた。ギリシア語の ο?κο?(オイコス=ポリス市民家長とする家政機関共同体)と λ?γο?(ロゴス=理論)とを組み合わせたものである[2]
植物地理学とフンボルトアレクサンダー・フォン・フンボルト(Joseph Stielerによる肖像画)

18世紀から19世紀初頭にかけて、フランスイギリスといった大きな海事力をもつ国々は、他国との海洋商業確立、新しい自然資源の発見と目録作成を目的に、多くの遠征に出帆した。18世紀初頭に知られていた植物種はおよそ2,000種であったが、19世紀初頭になるとその数は4,000種に増え、現在では400,000種に達している。

これらの遠征には多くの科学者が参加し、中には植物学者も含まれていた。ドイツの探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトもその一人であり、エメ・ボンプランと組んで1799年から1804年にかけて行ったスペイン領アメリカの探検によって知られる[3]。フンボルトは生物-環境間の関係に初めて着目したという点から、しばしば生態学の真の父と考えられている。彼は観察された植物種と気候、緯度・経度を用いて記述された植生区分との間に関連があることを明らかにした。このような領域は、現在では植物地理学として知られている。1805年に出版された『Idea for a Plant Geography』はフンボルトの代表著作の一つとされる。また、彼は同時に動物の垂直分布をも明らかにした[4]

他の重要な植物学者としては、オイゲン・ワルミングなどがいる。
生物群集の概念 - ダーウィンとウォレス

1850年ごろ、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」出版に伴う革新が起こった。また、ダーウィンは生物個体間や種間、環境との関係を重視して、その仕組みに基づいて進化論を主張したが、その内容は生態学的と言って良いものである。また、こうした進化論は生態学の進歩に対し、一般に大きな影響を与えたと見なされている[5]

生態学は、反復のある機械的なモデルを、生物学的・有機的な、そしてそれゆえに進化的なモデルへと受け渡した。

同じ時代にダーウィンの競合者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、初めて動物種の"地理"について提案をした。当時の何人かの科学者は、種は互いに独立したものではないということを認識し、生物を植物、動物、後には生物群集 (biocenose) に分類した。この生物群集という語は、1877年カール・アウグスト・メビウスによって作られたものである[6]
生物圏 - ジュースとベルナドスキー

生物地球化学的循環という考え方は、1789年にラヴォアジエ水循環を認識したことに始まるとされ[7]テオドール・ド・ソシュールの研究によって進展した。一方窒素循環については19世紀中盤から研究が進められていった[8]

地球の大気圏水圏岩石圏の中で生物が発展しているという事実から、1875年オーストリアの地理学者エドアルト・ジュースは「生命が生息する地球表面の場所」という概念を表す用語として「生物圏」を提案した[9]

1926年、フランスに亡命したロシアの地質学ウラジミール・ベルナドスキーは、著書『生物圏』の中で「生態学を生物圏の科学」と再定義した[10]。同書では生物地球化学的循環の基本原理が述べられており、生物圏を生物・非生物の作用を含めた循環系として記述した[11]

史上初めて報告された生態学的な損傷は、18世紀における植民地の増加による森林破壊である。この森林破壊は学者によって警告され、いくつかの植民地では保護林が設定されるとともに森林保護が法制化された[12]産業革命に伴い、19世紀に入ってからは、人間の活動が環境に与える影響について差し迫った関心が寄せられた。また、景観保護[13]動物愛護[14]などの考え方とも結びついて、19世紀にはヨーロッパやアメリカにおいて自然保護の考え方が広まり始めた[15]


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